【怪奇小説】青虫ラーメン〜スヌーピーも絶望している〜

〜スヌーピーも絶望している〜
豚野餌吉は夢には出て来なかった。幸先が良い再出発である。
オッパイデカ子は発狂して、相模原の方の精神病院に入院した。措置入院だったのでしばらくは親族以外の面会は出来なかった。
やがて、症状が落ち着いたようで珍保長太郎は呼び出されて見舞いに行った。それなりに正常に戻ったらしい。もっとも入院前が正常だったのかと言われると、おおいに疑問なので、どの時点を指して正常といってるのかは、よくわからないが。
オッパイデカ子には、愛情はなかったのだが、一時期だけにせよ、かかわりのある人間だったので、見舞いに行くくらいの義務はある、と珍保長太郎は考えた。気が狂ったことを気の毒には思ったが、同情しても病が治るわけではない。
相模原などに行く用事のある人間なんて、この世にはいない。もちろん、珍保長太郎も相模原に行くのは初めてだった。
近くに相模湖があるので、そこに観光に行く貧乏人は今もいるようだ。今も、というのは、その昔、高度経済成長の時代には東京近郊の手軽な観光地として、かなりの人気があったらしい。観光バスも来ていたようだ。
珍保長太郎は精神病院に行く道順を調べていて、相模原についてのサイトを見て回って知った。大きなダムを作ってそのたまった水が相模湖である。湖畔には、以前は華やかであっただろう、という旅館や観光施設がある。今は寂れる一方で訪れる人もいない。
「さびしい所だな」
珍保長太郎は相模原駅で降りて思った。その代わり、家賃の相場はすごく安いようだ。近所をぶらぶらしてみる。3万円台で『文化住宅』が貸し出されていた。
文化住宅というのも、最近はあまり聞かない言葉だが、平屋の狭い一軒家である。もちろん、高度経済成長の時代の産物なので、たいへんに古い。まともな都内人なら住めないレベルなのだが、この家賃で一軒家は魅力的である。
代田橋も、その近辺ではとても相場が安いのだが、相模原に比べるとやはり都内の価格帯である。
「人生がどうにも行かなくなったら相模原で暮らそう」
珍保長太郎は虚無的な顔で独り言を言った。こんなニヒルな人間ではないのだが、これにはふたつの原因がある。ひとつは相模原という滅び去った文明の果ての土地の風土に毒されてしまったこと。あきらかに相模原の土の中に有毒で退廃的な物質が満ちたりていて、つねに障気を蒸発し続けているのであろう。
おそらく、こんな土地で暮らしていたら、遺伝子が毒されて劣悪な子孫ばかりが産まれるに違いない。そのうち、えらのようなものが生えてきたり、魚のような外見に近づいて行くのではないか……。宇宙的な時間が過ぎ去った後は、すっかり魚のような人間に進化した相模原の市民はみな湖に帰って行くことだろう。
「魚になっちゃうのか」
思っていることが口に出てしまう珍保長太郎。ここらは無人なので、変なことを言っても気にする人間はいない。オウム真理教の全国指名手配されていた菊池直子が隠れ住んでいたのも相模原だった。おかしな人間がいても誰も気にしない土地、相模原。そういう土地柄である。そもそも人間自体がほとんどいないのだから、気にする人間がいないのは当たり前である。
もうひとつは精神病院に見舞いに行くという行動である。これがなんと言えない憂鬱な気分に珍保長太郎をさせた。精神病院だから……というわけではなく、やはり、病院というものは陰気な気分にさせる。消毒用のアルコールと死の匂い。人生は病院で始まり病院で終わる.家庭で出産したら別だが。『もうすぐお前も病院に行くのだ』 すべての病院の建物はそういうメッセージを送り続けている。『それは戻ることのない旅だ』
行きはタクシーにした。駅からけっこうな距離があるからである。門の所に、なぜかスヌーピーのぬいぐるみが置いてあった。病院に来た誰かか、病院に入っている誰かが置いたのだろうか。にこやかに微笑むスヌーピーの顔は、この世のものとは思えぬほどウツロに見えた。
「スヌーピーも絶望している」
入り口で予約を確認されて中に入り、さらに隔離病棟の入り口で待たされた。ここから先は、あの世である。受け付けてくれた看護士によると、オッパイデカ子の具合は今日はかなり悪いらしい。案内されて病室に行く。
「本橋さん。ご友人がお見えですよ」
と看護士が言う。
「きしゃーーーーーーーっ」
珍保長太郎の顔を見て牙を剥くオッパイデカ子。
やばい。
どうやったか知らないが、犬歯をといで鋭く尖らせているようだ。身の危険を感じで、入り口の方に後退する珍保長太郎。矢のように飛びかかって来たオッパイデカ子を避けるため、珍保長太郎は看護士を捕まえて盾にした。狙いが狂って看護士の首に噛み付くオッパイデカ子。
「ぎゃあああああああああああああああっ」
悲鳴を上げる看護士。
「ちゅーーーーっちゅーーーーーーーーっ」
と血を吸うオッパイデカ子。やつは今日は空腹だったようだ。珍保長太郎は毎晩のように血を吸われていたので、とくに血を吸われてもどうということなくなっていたのだが、おそらく、看護士は血を吸われるのは初めてだったのではないか。あわてておびえているように見えた。
「たすけてーーーーーーっ!」
鉄ゲタで殴られた空手家のような声を上げる看護士。例えがよくわからんな。
「だいじょうぶです。血は吸いますが、吸血鬼ではありません。歯槽膿漏がうつるくらいです」
と珍保長太郎は看護士を慰めたが、30代後半の看護士はあまり安心したようには見えなかった。
「どうしましたか」
騒ぎを聞きつけてやってきた看護士二人と警備員。こういうこともありふれた日常なのだろう。彼らの表情にはあきらめに似た倦怠感が現れていた。
「本橋さんが血を吸うんです!」
見ればわかることを看護士は説明した。几帳面な性格なのだろう。
「放しなさい!」
あまり手荒にしないように注意しながら、警備の男がオッパイデカ子を引き離す。オッパイデカ子の牙が突き刺さっていた看護士の細い栄養失調気味の首から、血が噴き出す。看護婦の白衣が血で深紅に染まった。
「お花見の桜のようだ」
いつもの調子で思ってることがそのまま口から漏れてしまった珍保長太郎だが、今回はちょっとやばいように思えて、あわてて口をつぐんだ。血を吸われていた看護士が、珍保長太郎の発言に気付いて、かなり剣呑な表情を浮かべて顔を見ていたが、とくに行動は起こさなかった。もっとおかしなことを言う患者を見慣れているのと、精神病院に入院してる患者の知り合いもやはりおかしな言動の人間が多いからであろう。
「ききーーーーーっ!ききーーーーーーーっ!」
コウモリのように叫び続けるオッパイデカ子の声をあとにして、珍保長太郎は病院を出た。どっと疲れた。
この騒ぎの後、オッパイデカ子は一段階、監視の強力な部屋に移されたようである。タクシーで20分ほどの距離だったが、珍保長太郎は帰りは歩くことにした。頭の中を切り替えたい。
病院から国道まで出る長い坂道。沿道には桜の木が植えられていた。おそらく、花見の季節には満開の桜が咲いていることだろう。
「ここは、あの世のようなものだ」
もうすぐ死の世界が待っているぞ。
この坂道を歩くものはそういうメッセージをこの環境から与えられる。どのみち、人類は平等に最後は死の世界に旅立つ。そのメッセージはそんなには間違っていない。
「いちおう、復讐をすべきだろうか」
珍保長太郎はひとりごちた。
ここなら仕事に疲れた看護士に聞きつけられて、見舞い者がそのまま入院患者になってしまう恐れはない。ヤクザ悪左衛門らに腹を立ててみようと思ったが、とくに激怒はしなかった。彼らはそういう稼業なのである。ライオンが他の動物を殺して肉を食っていることに腹を立ててもしかたがない。そういう生まれなのだ。ライオンにマクドナルドを食わせてもおそらくはあまり満足はしないだろう。とくにパンがまずいからな。とは言え、このまま引き下がるのも、負けたようで居心地が悪い。これはマッチョイズムではないかと珍保長太郎は考えたが、正義なのかもしれなかった。
「正義は義務か」
珍保長太郎はひとりごとを言った。言ってから答えが出てしまったことに気付いて、頭が痛くなった。


あらすじ
代田橋でまずいラーメン屋を営んでいる珍保長太郎。来店した地元の暴力団員と喧嘩になり、居合わせた客のひとりが死亡、珍保長太郎も重傷を負う。指名手配された暴力団員は、逆恨みして、珍保長太郎の女友達をシャブ漬けにして廃人にしてしまう。怒りに燃えた珍保長太郎の孤独な復讐が始まる!
登場人物
珍保長太郎 :『ラーメン珍長』店主
豚野餌吉 : 客
オッパイデカ子 : 謎の女
ヤクザ悪左衛門 : 暴力団
糞賀臭男 : 暴力団
歯糞全身男 : 暴力団
死神酋長:医者

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くまちゃんウィルス

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