【怪奇小説】青虫ラーメン〜イエス・キリストが恐れなす〜

〜イエス・キリストが恐れなす〜
翌朝、珍保長太郎はもうろうとした頭で目を覚ました。低血圧である。あたりまえである。すこし前に出血多量で死にかけた人間から血を吸うとはなにごとだ。血を吸う巨乳め。
珍保長太郎は怒りでわなわな震えた。ほんとうによく震えていたのである。鏡に映っている自分を見たら、脳溢血で倒れて身体を制御できなくなった老人にしか見えなかったので、震えるのはやめた。
鏡……。
そういえば、血を吸われると鏡に映らなくなるのではないか……。いやな予感が腐った脳みそをよぎり、珍保長太郎は鏡をまじまじと見てみた。
疲れた顔の50前の男が映ってるだけだ。とくに映りが悪いとか半透明になっているようすはない。やれ、ひと安心だ、と珍保長太郎は思ったが、今後、しだいに映らなくなって行く可能性もある。毒がゆっくりと身体に回るように、オッパイデカ子の菌が広がって行くのではないか。
その菌の親株のオッパイデカ子だが、目覚めたらどこかに消えていた。気絶してる間に棺桶でも運び込まれていて、その中に寝ているのではないかと思って、一応、各部屋をのぞいて歩いたが、そのようなものはなかった。
そもそも棺桶なんてどこに売っているんだ。ヤフオクか。ヤフオクだと、こういう大きいものは送料がかさむので、あまりお得じゃないな、と珍保長太郎は考えた。
日本では死体を焼くことが法律で定められているので、吸血鬼が寝るような棺桶は、なかなか手に入らないのではないか。そういえば葬式で死体を焼き場で焼くまで入れておく箱があるが、あれでもいいのだろうか。西洋式のものと違って、燃やしてしまうのが前提なので、いかにも作りがちゃちで安っぽいが。
将来、やっぱり噛まれて吸血鬼になっていましたよ……ってことになったら、棺桶探しが難航しそうだ。やっぱり、マイ棺桶がないと苦しみ抜いて灰になったりするんだろうな。
珍保長太郎は汚いラーメン屋のすみで灰になってしまっている自分の未来の姿を想像して、ゆううつな気分になった。まあ、とくに吸血鬼に差別意識はないのだが、やっぱり、吸血鬼にはならないに越したことはない気がする。
かさかさと部屋のすみにゴキブリが這っていた。茶色くて小さいのはチャバネゴキブリである。大きくて悪そうなのがクロゴキブリである。今回のは小さい方のチャバネゴキブリであった。とはいえ、けっしてかわいいとか愛着がわくというものではない。
「そういえば吸血鬼になると虫を食いたくなるのではなかったか」
珍保長太郎は試しに舌なめずりをしてから、無遠慮にラブリーなチャバネゴキブリをじろじろ見てみたが、とくに食欲はわかないようだった。
「よし、クリアー」
チャバネゴキブリのほうでも、珍保長太郎に見つめられて赤面するようなことはなかった。どうやら、相思相愛になる機会はなさそうである。もっとも、色が濃いから赤くなっていても、気が付いていない可能性もあるが……。
「もちろん、人生にはいろいろな可能性があるとも。巨乳美女に噛まれて吸血鬼になる……。チャバネゴキブリと結婚してゴキ子を産む……」
珍保長太郎は、気のふれたアラブ人アブドゥル・アルハザードのように、ぶつぶつ言った。
「あと吸血鬼というと……」
珍保長太郎は、昔の吸血鬼映画を思い浮かべながら考えた。ベラ・ルゴシの吸血鬼映画は風格があった。その点、後年のハマープロダクションのクリストファー・リーの吸血鬼は下品でいやらしい。吸血があからさまなセックスの暗喩になっている。しかし、それが悪いということではない。別な魅力がある。さらにハマープロの作品はテーマ曲がどれも重厚ですばらしい。珍保長太郎は、おどろおどろしいクリストファー・リーの出てくる吸血鬼映画のイントロダクションを、頭の中で再生した。
「いや、そうじゃなくて……」
映画論を考えるのではなくて、吸血鬼の特徴を思い出そうとしていたのだ。すこし考えて、特徴を思い出したので外に出た。病み上がりでひさしぶりの直射日光である。
「ぐわはは〜〜〜〜〜〜」
珍保長太郎は気を失いそうになった。やはり、吸血鬼になっていたのだろうか。いや、これでは病み上がりで日光に負けているのか、吸血鬼になったので負けているのか、判断がつかない。もう少し、そこらを散歩して確かめてみよう、と歩きはじめる珍保長太郎。
近所の教会が見えて来た。名前がよりによって『朝顔教会』などというふざけた名前である。
「これこれ!」
珍保長太郎はいろめきだって教会のてっぺんに避雷針のように突っ立ってる巨大な十字架を睨みつけた。よくわからない。どれくらい十字架を見て苦しい反応が起きれば吸血鬼になったと言えるのだろうか。珍保長太郎は吸血鬼判断の基準がよくわかっていないことに気が付いた。
「1、2、3、4、5……」
とりあえずカウントしてみた。するとだんだん腹が立って来た。おっ、これはいける? いや、いけてしまったら困るのであるが、と珍保長太郎はひとりごちた。
「この腐れ毛唐の邪教徒め。外人だからって、偉そうにしやがって。なにが博愛だ。十字軍で関係ない国に行って何万人も虐殺しておいて、今さら愛もなにもないだろうが。お前らの十字架は血で汚れている。宗教さえなければ、世界の戦争は半分になることであろう!」
と吐き捨てるように言ってから、珍保長太郎は今のが吸血鬼化のためによってなされた発言だろうか、と考えたが、どうも、単に自分の人間性に問題があるだけではないかという結論に達した。
「今の自分の姿を他人の目から見れば吸血鬼のように見えるだろうか。否。むしろ、ただの頭のおかしいかわいそうな人に見えることだろう。ゆえに、たぶん自分は吸血鬼にはなっていない。とはいえ……」
珍保長太郎は憂鬱な気分になり考え込んだ。
「頭のおかしい50前の男として生きるより、吸血鬼として十字架を恐れて生きる方がずっと良いのではないか。世の中はまったくうまく行かないものだ」
珍保長太郎はもともと長かった犬歯をむきだしにして、十字架に向かってうなった。
「きしゃーーーーーーーーっ」
イエス・キリストは、とくに珍保長太郎を恐れているようには見えなかった。


あらすじ
代田橋でまずいラーメン屋を営んでいる珍保長太郎。来店した地元の暴力団員と喧嘩になり、居合わせた客のひとりが死亡、珍保長太郎も重傷を負う。指名手配された暴力団員は、逆恨みして、珍保長太郎の女友達をシャブ漬けにして廃人にしてしまう。怒りに燃えた珍保長太郎の孤独な復讐が始まる!
登場人物
珍保長太郎 :『ラーメン珍長』店主
豚野餌吉 : 客
オッパイデカ子 : 謎の女
ヤクザ悪左衛門 : 暴力団
糞賀臭男 : 暴力団
歯糞全身男 : 暴力団
死神酋長:医者