【怪奇小説】青虫ラーメン〜席取りゲーム〜

12月 23, 2023

〜席取りゲーム〜
この世には確実に言えることがひとつある。それは包丁に刺されると痛いということである。おそらく、これに反対するものは、よほどの変わり者ではないだろうか? それほど、痛いものである。しかも、切れ味の良い包丁ですぱっとやられたのなら、まだ、ましである。
珍保長太郎の厨房の出刃包丁は、ぜんぜん研いでいなく、歯が欠けてがたがただった。包丁というより、オノやノコギリの一種に近い。
そんなぎざぎざな刃で刺されたものだから、珍保長太郎の腹の切り口は予想外に汚いものだった。自分の包丁を研いでないのが悪かったのだから、自業自得とも言える…が。
「こりゃあ、ジグソーパズルを正しく組み合わせるようなものですね。または、大陸移動説で移動した大陸を正しくもとに戻せというか。なかなか、難易度が高いです」
医者が言った。珍保長太郎は地元の北星病院に入院していた。
「はあ」
痛み止めでらりらりになっている珍保長太郎が、ぼんやりと答えた。
なにしろ強力な痛み止めなので、すべての世界の情報が一瞬遅れて頭の中に入って来る。遅延回路を神経に埋め込んでいるようなものだ。
「どうせ、誰かが見るというものでもない腹なので、アロンアルファなんかで、適当に留めてくれれば良いですよ」
それは良い考えだな。こういう汚らしい貧乏人の患者なら、感染症で死んでもあまり問題はないだろうし、瞬間接着剤で留めておくくらいが、世のため人のため、さらには患者本人のために、余計な健康保険代を浪費しなくていいだろう、と医者は考えた。
そもそも、体臭の臭い貧民どもを治療するということ自体がまちがっているのではないか。こういう賤民どもは社会の癌である。こういうゴミがいるから町が汚くなるのである。ネズミやゴキブリと同じで、すぐに数が増える。知能が低いためにセックスしか趣味がないからである。さいきんはこの近所もスラム化が進んでいる。そんな貧乏人層を保護することは、果たして正しいことだろうか。
むしろ、治療といつわってネリカラシでも傷口に塗り、苦しませながら死なせた方が日本という国がきれいになるのではないか。治安のためにも次期の杉並区区長は『貧乏人医療禁令』などを唱える人がいいのではないか。
きっと大阪の元市長だった橋下さんなら、こういうところまで考えているに違いない。あれは仕事が出来る男だ。反対がいくらあろうとも、みずからの信念を通す……。橋下元市長のような強い男が杉並区にも現れてくれないかな、と医者は心の中で長々と思っていたが、大人なので口先では当たり障りのないことを言った。
「そんなことを言うものじゃないですよ。きっと事件のショックで動揺しているんですね。もちろん外科医としてのテクニックを駆使して、ほとんどあとがわからないレベルまで、ふさいでみせますよ。こう見えても関東の外科医のあいだでは『魔法の指先』と言われているのです。あっはっはっ」
高笑いする医者。
魔法の指か……。手コキが売りの風俗嬢みたいだな。
どうも珍保長太郎は、この医者にないしんばかにされている気がして、落ち着かない気分だった。
医者は続けた。
「問題は腸が切れているでしょう。腸が切れるとうんこが腹腔内のあちこちに付きます。これが汚いんですな。とうぜんながら、腸の中のウンコというのは大腸菌のかたまりですからね。大腸菌の量というのは汚染度を測る指数なんですが、この世でいちばん大腸菌が多い場所は、とうぜんながら大腸ですからね。そんなものがひろがってしまっているから感染症がひどい。傷口はたいしたことがないのに死んじゃう人は、たいていこれで死ぬんですな。もちろん、魔法の指でなんとかしますが」
「なんとかしてください」
珍保長太郎は死にそうな声で答えた。どうもこの医者と話していると、自分が0.5秒後くらいに死ぬような気分がして来る。珍保長太郎は医者を『死神酋長』と名付けた。
一方、珍保長太郎の身体の方もいっしょけんめいに、傷口やら雑菌の繁殖やらをなんとかしようと戦っていた。がんばる白血球である。本人はあまりがんばることをしない人間だが、胴体は努力家だったのである。そちらのほうに大量のエネルギーを回していたため、珍保長太郎の身体の疲労感ははんぱなものではなかった。痛み止めと疲れで、珍保長太郎はまた眠りに落ちた。
北星病院のベッドで寝ながら珍保長太郎は夢を見ていた。ここは相部屋で、隣のベッドには今にも死にそうな高齢のお年寄り。半分くらいすでに死んでるようで、静かなのがさいわいだった。ほかのベッドは、最近死んだばかりのようで空いていた。死にたてのほやほやというやつである。あの世行きの初夜を迎えたばかりと言い換えてもよい。
さて、その夢だが、河合奈保子が出て来た。河合奈保子というのは、胸の大きい昔のアイドル歌手である。意外と歌のうまい歌手なのだが誰も乳のことしか覚えていない。その河合奈保子も今では40代後半である。信じられない。俺も歳をとったものだ。
魔法の指をほこる死神酋長のおかげで、今日明日死ぬことはないようだが、確実に最終日は近づいて来ているのである。
「死がお前を待っている」
珍保長太郎は気付かなかったが、このような寝言を言った。相部屋の患者にぜったい言ってもらいたくない台詞のひとつであろう。
豚野餌吉も、まさかラーメンを食ってる時に見知らぬヤクザを怒らせて刺されて死ぬとは思っていなかっただろう。まさに無駄死に……。いや、豚だから豚死にというところか。豚死で頓死なわけである。この豚はいくら死んでもまったくおしくないやつだったが。
さすがの豚野餌吉も死後の世界に行ってからも、俺に軽蔑されるとは思ってもいなかっただろう。人間は死んだら天国に行くが、あれは豚だから豚天国に行く。
「豚天国だけには行きたくないものだな。むにゃむにゃ」
珍保長太郎は、また寝言を言った。きっと、豚の天使や豚のキリスト(略してキリブタ)、さらには豚の合唱団などに囲まれて永遠に賛美歌を聞かされるに違いない。これなら、むしろ地獄に落ちる方がましだろう。
豚野餌吉の死後の心配はどうでもいい。それより問題は河合奈保子だった。この河合奈保子がみょうに積極的だったのである。気が付くと、この河合奈保子が爆乳を出して身体の上にまたがっていた。
まるで中学生が見る性夢のようである。中学生か。中学時代も遠くなったものだ。虫のようなものだった。中学生と虫は似ている。どちらも死にやすいし、死んでもとくにおしまれない。そういう存在である。
少年時代を回顧していると河合奈保子が珍保長太郎のトランクスからチンポを出してセックスを始めた。うおっ。これにはさすがの珍保長太郎も驚いた。おそらく、インド人もびっくりするのではないか。他の人のことは知らないが、だいたい夢の中ではエッチをしようとすると邪魔がはいってできない……ということが多いのではないか。
それなのに、いきなりずっぽんずっぽんである。しかも、この河合奈保子、はげしく腰を振っている。
「ききーっ」
河合奈保子がコウモリのように鳴いた。
これはおかしい。いくら夢の中とはいえ、河合奈保子はあまり、ききーっとは鳴かないのではないか。珍保長太郎は、背筋に冷たいものが走り、一気に目が覚めた。
オッパイデカ子が自分の上にまたがって、腰を振っていた。
夢か幻か。どちらでもなかった。どうやら、この女は珍保長太郎が寝ぼけてる時に、チンポを立たせて勝手に挿入におよんだらしい。寝てる間に見舞いに来ていたようだ。
ぎしぎしぎし。
なまなましくベッドのスプリングが、きしんだ音を立てる。隣のベッドが半分死んでる老人で良かった。
「ああん、店長。いやらしい。こんなに精液がたまっていたのね」
わざとらしく説明的なあえぎ声を出すオッパイデカ子。
珍保長太郎は、すぐさまセックスを止めて抜こうと思ったのだが、ざんねんながら下半身がやめてくれない。まさに上半身と下半身は別ものとはこのことだな、と珍保長太郎は冷静に思った。
腰が動くのを止められなかったのである。ドント ストップ ビートである。まいったね。まさに猿である。猿であった時代の衝動を止められないのである。ここまで来たら、射精するまで止められない。
ああ、これはまずいことになったな、と心の中では悲鳴をあげてるのに、腰から下はGOである。今なら、腰から下をすぱんと切り落としても、まだ腰を振り続けてるにちがいない。
「ああん、ああん、きゃうーーん、きゅいーーーん」
変な音を口から出すオッパイデカ子。人間じゃないのかも知れない。
「店長ったら心配で見舞いに来たら寝てたので、思わず、ベッドに入って添い寝してたら、ぎゅうーっと抱きしめて来て、挿入してしまうんだもん。口から愛液が出てしまったわ……」
うわあ、やっぱりだ。この女、俺が寝ぼけている間に、むりやり抱いたことにして既成事実を作ろうとしている。罠だ。罠。
珍保長太郎は、敵の策略があばかれた今こそ、腰の動きを止めて陰茎を抜くべき……という信号を下半身に送ってみたが、やはり、むだだった。あっさり、中に出してしまった。
「うっうっうっ。で、出る。いっぱい、出た」
自分でもなさけない声を出す珍保長太郎。快感と悪寒といやな予感で身体がふるえた。こうして、既成事実が出来てしまったのである。
「ああん、店長ったら、むりやり中に出して! 危険日だから責任とってね!」
してやったりという顔のオッパイデカ子。
「あなたの妻と呼ばれたいわ!」
そういうこと言うと思ったよ。
珍保長太郎は運命の荒波に翻弄される小舟になった自分のビジョンが見えた。
ふと思い出して隣のベッドを見ると、半分死にかけていた老人が、自分のしなびたチンポを握りながらほんとうに死んでいた……。
おそらく、隣のベッドで現役時代を思い出させる音が聞こえて来たので、にわかに意識が戻り、年甲斐もなく自慰をはじめてしまい、射精と同時にあの世にロケットスタートしてしまったのであろう。
「席取りゲームで座れなかったものから次々と死んで行く……」
珍保長太郎は、何となく哲学的なことをつぶやいてみたが、これが射精後によく現れる賢者タイムかと気付いてげっそりした。


あらすじ
代田橋でまずいラーメン屋を営んでいる珍保長太郎。来店した地元の暴力団員と喧嘩になり、居合わせた客のひとりが死亡、珍保長太郎も重傷を負う。指名手配された暴力団員は、逆恨みして、珍保長太郎の女友達をシャブ漬けにして廃人にしてしまう。怒りに燃えた珍保長太郎の孤独な復讐が始まる!
登場人物
珍保長太郎 :『ラーメン珍長』店主
豚野餌吉 : 客
オッパイデカ子 : 謎の女
ヤクザ悪左衛門 : 暴力団
糞賀臭男 : 暴力団
歯糞全身男 : 暴力団
死神酋長:医者