【怪奇小説】ヒトデ男の恐怖〜ハクビシン〜

12月 23, 2023

~ハクビシン~
代田橋の駅前のラーメン屋の店主、珍保長太郎は愛用の業務用自転車『チンポ号』に乗って走っていた。うららかな春のはじまり。気温はまだ低いが、そのなかに生暖かな春の陽気を予感させる風が吹いていた。今日は天気が良い。
しかしながら、珍保長太郎の心の中は憂鬱だった。
「金がない。ああ、金がないとも……」
いつも、これだ。
と、珍保長太郎は思う。
なぜ、俺は一年中、金の心配ばかりしているのだろうか?
「もちろん、答えは簡単だ。俺に働く気がないからだ」
珍保長太郎はぶつぶつと独り言を言いながら、猛スピードで重たい業務用自転車を走らせていた。本人は気がついていないが、あんがい、独り言の声がでかい。
異形の大男が、わけのわからないことを喚きながら突進してきたので、通行人がぎょっとした表情を浮かべて、道をどけた。必要以上に距離を開けて、かかわりをもたないようにする。
「ばかやろうーッ! 死ねッ! 死ねッ!」
なにやら、怒り始めた男の後ろ姿を見送りながら、通行人は頭を左右に振った。
世の中、キチガイが多すぎる……。
となげいているのが聞こえる。
そのキチガイは、和田堀給水所の角にあるセブンイレブンのところで曲がって、明大前に向かった。暴走自転車である。
明大前、京王線の高架下にある交番の中を無意味に睨みつけてから、珍保長太郎は南に方向を変えて赤堤を目指した。
世田谷線の草がぼうぼうと生えているのんきな線路沿いにしばらく進む。それから右に曲がると閑静な住宅地になる。赤堤だ。
ここに珍保長太郎のラーメン屋の大家が住んでいる。家賃が払えそうにないので相談に行くのである。世の中にこれほど、不愉快なことがあるだろうか?
珍保長太郎は、これから大家のごうつくばりと交わす会話を想像して、怒りで胃袋がねじれそうになった。
「ぶっ殺すぞッ!」
意味なく、空気に向かって怒鳴る珍保長太郎。誰も聞く者がいなくてよかった。
もし、耳にしていたならば、オシッコを漏らしていたことであろう。
大家の家は赤堤の孤立した一角にあった。横には赤堤沼と呼ばれている汚い沼がある。沼というよりは、単なる溜池である。昔は農業用水などに使われていたのではないか。周りは閑静な住宅地として、すっかり開発されているのだが、この大家の住んでいる区画だけは、雑草も木も伸び放題。ジャングルのようになっている。
たぶん、ぜんぶ、大家の土地なのであろう。土地を売ると高いとは思うのだが、大家はボロボロの古い家に住んでいた。
昔は有名な物理学者だったそうだが、今ではただのドケチなババアである。
名前は生源寺荘子。変わり者らしく、近所と付き合いは、いっさいないようだ。珍保長太郎も、こんな守銭奴とは付き合いたくないのだが、大家なので仕方がない。
沼の横を通って庭に入るだけで、胃袋が痛くなってきた。
荒れ放題の無駄に広い庭だ。このクラスの庭になると、個人では維持が無理だから、庭師が必要になると思うのだが、あきらかに何十年も誰かが手入れをした様子はない。
庭の隅に母屋に負けずボロボロの錆び付いたヨド物置があった。金属の板が腐って穴が開いている。中にはスコップなどの庭仕事の道具や、肥料、土、さらには、よく分からない粗大ゴミなどが、ぎゅうぎゅうに詰め込んであった。
玄関の前に立って勇気を振り絞る珍保長太郎。
とにかく、このババアは苦手だ。
「こういうクソババアに毎月、謝らないですむように、なにか、こう、パァーッと一気に儲かるような手段はないものだろうか?」
こういう怠け者ほど、地道な努力をしないで、人生が大逆転するような方法をさがすものである。
珍保長太郎はぶつぶつ言いながら、ボロ家の呼び鈴を押した。
壊れていた。
そこで親の仇にようにドアを殴りつけてノックした。
干物のようなババアが出てきた。
死臭がする。もうすぐ死ぬにちがいない。
「おい、こらっ! 人の家のドアを壊す気かい? まったく、なんの騒ぎなんだい?」
大家はよく見えない老眼で睨みをきかせる。ようやく相手が誰かわかったようだ。
「おや、誰かと思ったらラーメン珍重の店主じゃないか。まさか、また家賃の支払いを遅らせてくれと頼みに来たんじゃないだろうね?」
顔を見ただけで、用件を言い当てる大家。死にかけているババアだが、さすがに元物理学者だけはあって、頭は悪くないようだ。
出鼻をくじかれた珍保長太郎は、しどろもどろになったが、とりあえず、居間に通された。
雑然とした部屋。異臭が漂っている。世捨て人の老人の孤独な日常が、うかがえる。掃除というものをしていないようだ。
珍保長太郎は窓の外に見える腐ってメタンガスがブクブクと、わいている沼と、この部屋の中のどちらが汚いかを考えた。
大昔は物理学者だったそうだが、それらしい本などが置いてあるようすはない。晩年は困窮生活になってしまったので、すべて売り払ってしまったのか。
大家は汚い湯のみに入れたお茶を持ってきた。なにか、細かい虫かカスのようなものが、浮かんでいる気がする。珍保長太郎も老眼なのでよく見えていない。
おそるおそる珍保長太郎は、家賃の支払いの交渉を始めた。
「そんなことだと思ったよ! この怠け者のウドの大木がッ!」
さっそく大家がブチ切れて、どなりつける。
「誰も一生払わないとは言っていないんだ。ほんのすこし、あとすこしだけ待っていてくれという話なんだ。月末までまってくれればいいだけなんだ」
大家におとらず、ブチ切れやすい性格の珍保長太郎は、つとめて冷静に答えた。
「なにを言ってるんだい? この生まれながらの嘘つきめ! 詐欺師め! まるで月末になったら、金が湧いて出てくるようなことを言ってるね! お前にいっさいの金のあてはないのはお見通しなんだよ!」
なかなか珍保長太郎の人柄を知り抜いている大家。人間に対する観察眼はあるようだ。
珍保長太郎は、ここでひるんでは負けだと思い、口からでまかせを言った。
「うふふふ。いやあ、もうすぐ大金が入る予定があるんですよ! その時になったら、利息も含めて一気に支払いましょう! 景気よく慰謝料を兼ねてチップも入れておきますよ!」
口先だけでは威勢良く言う珍保長太郎。
「ほう、それはどんな予定なんだい?」
あきれたようすで大家は言う。軽蔑しきった顔つきである。この大家なら『お母さん振り込んでサギ』に騙されて、大金を振り込むことはあるまい。
「うっ……。それは……」
もちろん、なにも考えていない珍保長太郎は言い淀む。
予想通りとはいえ、一方的に大家に攻められる展開となったので、珍保長太郎はだんだんと腹が立ってきた。さらにでまかせを重ねることにした。
「大ヒット商品の計画があるんですよッ! きっとすごく売れます! 店で出したら、連日の大行列になって、マスコミも取り上げます! 企業秘密なので詳細は言えませんが、開発中のメニューがあるんです!」
珍保長太郎は大声で自信満々に言った。嘘つきほど大きな声で言う、という法則である。
もちろん、大家はバカではないので、ひとかけらも信じなかった。
「なるほど……。そうかい。よくわかった」
とりあえずは納得したようすの大家。うなずく。嘘とでまかせが上手く行ったので、ほっと安心する珍保長太郎。
「わかってくれてよかった。それでは、月末までにミシュランに星付きで乗るような人気店になって、たまった家賃を支払いますよ!」
満身の笑みを浮かべて出て行こうとする珍保長太郎。
その前に大家が立ちはだかった。
「納得するわけがなかろうがッ! この生まれつきの嘘つき! 怠け者の人間のクズ! あたしをバカにするんでないよ! 月末までに荷物をまとめて店舗を出て行くんだね! 契約は今日で打ち切りだ! 決定! もう覆らないよ! お前の店は終わりだ!」
豹変する大家。珍保長太郎を口汚く罵る。老婆の何十年も歯を磨いていない口の中から、腐りきった唾液がばっぱ!ばっぱ!と珍保長太郎の顔にかかる。
「なんだと、このくそババア!」
激怒した珍保長太郎が立ち上がる。
「下手に出ていたら、いい気になりあがってッ!」
全力で大家に掴みかかった。
「ぶち殺してやるッ!」
大家は逃げようとしたが、狂犬のようになったときの珍保長太郎の動きは素早い。いつもは鈍いのに、こういう時だけ、時間が圧縮したように速くなる。
「死ねッ! 死ねッ!」
2メートル近い大男が全体重を乗せて、干物のような大家にのしかかる。
「ぐええ~」
なさけないヒキガエルのような声を上げる大家。老人虐待である。
「あの世に行けッ!」
珍保長太郎は大家の首に手をかけた。全力で締め上げた。
「くふーくふー」
苦しむ大家。
「ぐおおおおおおおおおっ!」
鬼の形相の珍保長太郎。
ボキン!
窒息する前に大家のか細い首の骨が折れた。動かなくなった大家の首から手を離す。首がありえない角度で曲がっている。
ハアハア。
肩で息をする珍保長太郎。
「もっと早く殺しておけばよかった~ッ!」
野獣のように珍保長太郎は天井に向かって吠えた。
珍保長太郎は一息ついた。とりあえず、ドッカと、破れて中のスポンジが出ているソファに座り、床の上で死んでいる大家を見つめた。
見ても生き返るわけではない。
しかし、もし、ここで生き返ると『殺人未遂だッ!』とものすごい剣幕で怒り始めるのは目に見えている。それを考えると、生き返らないでくれる方が、だんぜん良い。
良いが……困った事態であることには変わりはない。
「まあ、やってしまったものは仕方がない。失敗をいつまでも嘆くのはバカ者のすることだ」
珍保長太郎は大家をソファに座らせた。折れた首とソファの向きをテレビの方に向けた。窓からは後ろ姿しか見えない。
それから、少し考えてテレビをつけて音を大きめにした。
つまり、こういう感じだ。
耳の遠い老人がテレビを見ている。
ドアをノックして窓から覗いたが、返事がないのは、耳が遠くて聞こえないからであろう。
または、テレビを見たまま寝ているか……。
そもそも、近所付き合いはほとんどなさそうな変人だし、こうしておけば、しばらく見つかることはあるまい。うまくいくと、このまま朽ち果てる。
そして、無人の廃屋と思われていたこの家で、20年後くらいに白骨死体となって見つかるかもしれない……。
よし、この筋書きは悪くないぞ。
うふふ。
珍保長太郎は、フキンで大家が出した茶碗やテーブル、ドアノブなど指紋がついたと思われる箇所を拭いて回った。しかし、毎月、家賃の支払いの遅れを謝りに来てたのだから、指紋が多少出てもおかしくはあるまい。
自分の仕事に満足した珍保長太郎は玄関に向かった。
サヤサヤサヤ……。
その時、二階から声が聞こえたように思えた。
気のせいだろうか。
人を殺したせいで、罪悪感から幻聴が聞こえたのか。
まあ、罪悪感はないのだが。
大家は天涯孤独の身の上のはずだ。孤独な老人の一人暮らし。
しかし、もし、誰かが上にいるのならば、殺人を目撃したかもしれない。
それならば、目撃者も消さなくてはならない。
珍保長太郎は、二階に上がる階段の一段めに足をかけた。
そのとき、そろそろ店を開ける時間であることを思い出した。大家と話し合ってから、大急ぎで帰って開店をしようと思っていたのだ。
いかん、いかん。
働かなくては。
働かないから、このように金がなくなって殺人を犯してしまったのだ。
俺はもっと働いて金を稼がなくてはいけない。
珍保長太郎はきりっとした表情になった。それからUターンして、力強い足取りで玄関に向かった。
「きっと、ハクビシンに違いあるまい。屋根裏に隠れ住んでいるのだ。世田谷区の広報にハクビシンの注意が出ていたからな。きっと、こういう廃屋寸前の家などには、よく住んでいるに違いない」
二階の暗闇。もう少しで珍保長太郎が入りそうになった部屋だ。それはドアの裏側でうずくまっていた。
おしい……。
もう少しで、この獲物を殺すことができたのに……。
それは、憎悪で目がくらみそうになった。心の中にある憎しみで張り裂けんばかりになっている。
俺たちの身体の中には血液の代わりに憎しみが流れている。
だから、緑色の血が流れているのだろう。
俺たちは自然だ。
俺たちは生きている。
僕らはみんな生きている。
「よくもママを殺したな……」
それは小さな声でつぶやいた。丸い口の中に、するどく尖った歯が並んでいる。
そして、あろうことか――おおっ神よ!――口の奥には舌の代わりに、短いチンポコが生えていた。

 
あらすじ
呪われた町、代田橋。ここでは今日も怪奇現象が勃発していた。どうやら河童のような生き物が、赤堤沼から現れて、人間を襲って食っているらしい。『ラーメン珍長』のコックで殺人鬼の珍保長太郎は事件の解明に挑む!
登場人物
珍保長太郎:『ラーメン珍長』店主
バカ:新実大介
ヒルアンドン巡査:安藤正義
弱虫探偵団
モヤシ:坪内文二
キチガイ:今金弓彦
デブ:田淵哲
モヤシの母:坪内伊佐子
モヤシの兄:坪内拓也
中学生:唐木政治
中学生の弟:唐木将紀
ウルトラ:門前正月
奥さん:中島ルル
旦那:中島圭太
娘:中島グミ、5歳
小犬:モップ
元プロレスラー:三船龍太郎
大家:生源寺荘子