【怪奇小説】ヒトデ男の恐怖~井戸の底~

12月 23, 2023

~井戸の底~
赤堤沼の隣にある枯れた井戸の底。モヤシは兄に命じられて、キノコを収穫していた。さすがに井戸の底だけあって、じめじめとして暗い。まさにキノコの栽培にはうってつけだ。ここらの地名である『赤堤』の名の通り、土は赤土である。畑に向いている栄養があるのが黒土で、赤土は栄養がない。しかし、古井戸の底なので、長年、枯葉などがたまって腐葉土がたっぷりと出来ているのだろう。排水のよい赤土と腐葉土が混ざるとひじょうに良い土ができる。
キノコはどんどん成長をする。これが食えるキノコなのかはわからない。赤い毒々しい色をしたキノコで、カサを割ると黒い縞模様になっている。
毒キノコなんじゃないかな。
モヤシは、そう思ってるのだが、食うものがないのだから、仕方がない。
数日前、このキノコを初めて食った。まず吐き気に襲われる。吐くのをがまんしていると、すべての感覚が一瞬遅れて入ってくるようになる。
なんだ、これ。
遠くで兄が熱病のようにしゃべり続けている、世界同時革命とか、なんとかいう愚にもつかない話だが、それがワンテンポ遅れて聞こえるのだ。黄泉の国から聞こえてくる声のようだ。
あきらかに中毒していると思う。しかし、兄が生きているんだから、すぐ死ぬことはないだろう。ただ、キノコの毒のせいで、兄の頭がじわじわとおかしくなった、という可能性はある。
「さぼるな! しっかり働け!」
叱咤激励する兄。
「はい! 兄さんの高尚な思想に近づくために、もっとがんばって労働教育をします!」
モヤシはロボットのように、しゃちほこばって答えた。まったく、うんざりである。ふたりで暮らすようになると、兄はいきなり暴君に変貌した。小さな独裁国家である。
少しでも反論すると兄は激怒して殴った。モヤシは気が小さいので、表面上は兄の話に合わせていた。あまり人を憎んだりはしない性分なのだが、兄の妄想と暴力には、ほとほと困り果てていた。
井戸の底の暮らし。食物は他には、コケや虫など。太陽が真上に来た時に、数時間だけ、日が差すので、雑草のたぐいも少しだけ生えた。困ったのが、この虫だ。こんなものを食えるわけがなかろう……。
井戸の底は左右に横穴が掘られていた。広いとまではいかないが、それなりの空間ができていた。上の方に向けて途中まで掘られた穴もある。これなどは、兄が脱出口を作ろうとして挫折したあとらしい。
兄は横穴の奥の土を、木の棒でいっしょけんめいに掘っていた。しばらくして、空き缶の中に、なにかを入れて持ってきた。嬉々としている。
「今夜は、弟との再会を祝って、ご馳走だ!」
こぼれんばかりの笑みで、兄は缶の中身を平たい石の上に出した。
「やわらかな虫だ! 食ってみろ、うまいぞ。俺も最初の頃は怖気づいていたけどな。栄養満点だ。日の差さない土の中で、木の根の汁を吸ったり、腐葉土を食って生きている連中だ。最初はちょっと虫臭さが口の中に広がるが、体液は甘い味がする。慣れると悪くないぞ」
モヤシは動物好きだが、昆虫にもくわしい。兄が採ってきたのは、種類までは特定できないがコガネムシ科のなにかの幼虫、セミの幼虫、あとは地虫のたぐいだ。
「うまい! じゅるじゅる!」
兄はゴロンとした丸々と太ったイモムシを手にとって、むしゃぶりついた。半分に食いちぎる。胴体がちぎれて、内臓と体液がドロドロと流れ出る。
「おっとっと。もったいない」
まるで、受け皿にこぼれてしまった日本酒を飲むように、兄は手の平の体液を、いとおしそうに、すすって、なめた。
「うまかあ。まさに愛する地球のネクタールなり。マザーアースが、地球の環境を心配している、選ばれた人間だけに与える滋養のある乳である。バブーバブー」
ニタニタと下衆な笑みを浮かべている兄。半分くらいは冗談を言っているつもりに見えるが、モヤシにはよくわからないので、反応は一切しないように気をつけた。
ふいに兄は真顔に戻り、モヤシの目をのぞき込む。兄は腐った魚のような目をしていた。
「ところで、文二は選ばれた人間か? それとも我々の敵か?」
気が小さいので、どぎまぎするモヤシ。
「もちろん味方ですッ! 選ばれた人間です……、と自分で言うほど、ずうずうしくはありませんが、そうなりたいと願って生きています!」
ゴマをするモヤシ。ギンバエのように手先をこする。ブンブンブン、ハエが飛ぶ。小学校で、ひどいいじめにあっているので、なさけないことに、こういう条件反射が身についてしまったのだ。弁護するなら、生きる知恵と言い換えても良い。
「よろしい! では、文二も虫を食っていいぞ!」
母なる地球の代理人として、慈愛に満ちた表情を浮かべる兄。
エッ!?
モヤシは驚きの声をあげるのを必死にこらえた。
これを食えというのですか?
モゾモゾと動き回っている白い虫たちを……。
ぼくはマングースではありませんよ?
どうでもいい話だが、マングースは毒蛇ばかり食ってるように思われてるが、実際は小動物やこのような虫を主に食っている。
「まさか、食えないと言うのではあるまいな? 母なる地球の生み出したものを拒絶する気かえ?」
モヤシのかすかなためらいを察知して、兄がつめよる。こういう部分では無駄に頭がいい。
「敵か?」
白く濁った目が狂気に輝いている。
「いいえッ! いいえッ! とんでもありません、兄さんッ! ありがとうございますッ! あまりにも感動したので、口がきけなくなっていたところですッ!」
一息つくモヤシ。でまかせの先を考える。
「しかし、ぼくはまだ修行中の身です。しかも、小学生なので身体が小さい。あまりものを食べなくていいんです」
モヤシは共産主義国家で、洗脳された人民が独裁者を見るように、うっとりした眼差しで兄を見た。本人に会うまでは、兄はモヤシの理想のまとだったので、芝居は簡単だった。心の中の嫌悪感を隠せばいいだけである。
「それより、兄さんは、将来はセイブ愛地球の代表になるべき人間ではないですか。いつか、この古井戸を脱出できたらの話ですが、兄さんの高い知能があれば、この世に不可能なものはないでしょう。そして、兄さんが代表になった途端、頭の悪い国民たちは、雷で打たれたように目を覚まして、環境保護の大切さに気がつくでしょう。きっと兄さんは、晩年は総理大臣でしょうね。それより、一足飛びに、世界尊師のような存在になっているかもしれませんが……」
モヤシにおだてられて鼻高々になる兄。知能指数は高いのに、頭が悪い人間の典型である。モヤシは続ける。
「……ですから、兄さんには体力をつけてもらって、なにがなんでも生き延びてもらわないと。地球のために。世界のためにです。なので、これらの虫のご馳走は、兄さんが食べるべきだと思います!」
弟の感動的な演説に兄は涙を流しそうになった。
「実はいいとこを見せようとはしたけど、ほんとは、これぜんぶ、ひとりで食いたかったんだよ。じゃ、悪いな。ま、これも地球環境のためだ」
一気に残りの虫をたいらげる兄。顔じゅうにとびちった体液を、いつまでも、なごりおしそうに舌なめずりしている。モヤシはいろいろな意味で吐きそうになった。ひとつは虫のおぞましさに。もうひとつは兄の心のおぞましさに。

 
あらすじ
呪われた町、代田橋。ここでは今日も怪奇現象が勃発していた。どうやら河童のような生き物が、赤堤沼から現れて、人間を襲って食っているらしい。『ラーメン珍長』のコックで殺人鬼の珍保長太郎は事件の解明に挑む!
登場人物
珍保長太郎:『ラーメン珍長』店主
バカ:新実大介
ヒルアンドン巡査:安藤正義
弱虫探偵団
モヤシ:坪内文二
キチガイ:今金弓彦
デブ:田淵哲
モヤシの母:坪内伊佐子
モヤシの兄:坪内拓也
中学生:唐木政治
中学生の弟:唐木将紀
ウルトラ:門前正月
旦那:中島圭太
奥さん:中島ルル
娘:中島グミ、5歳
小犬:モップ
元プロレスラー:三船龍太郎
大家:生源寺荘子
セイブ愛地球:環境保護団体