【怪奇小説】ヒトデ男の恐怖~あれが殺しにくるよ~

12月 23, 2023

~あれが殺しにくるよ~
トロを食い損ねた小犬は、裏庭の錆び付いたエアコンの陰に隠れていた。
下水口の奥に、いやなやつがいる。悪いにおいがするぞ。
これに見つかったら、食べられてしまう。
小犬は鼻をひくひくさせながら、それに気づかれないように、静かに移動する。そして、窓の隙間から、自分の家に戻っていった。
ほっと一安心した小犬。丸くなって寝ようと思ったが、家の中では飼い主たちが大喧嘩をしていた。
参加しなくちゃならない。
小犬は眠りたかったが、ぜんりょくで吠え立てて、飼い主たちのダンスに協力をした。
「ああ、うるさい! お前のバカ犬がまた吠えてるぞ!」
毛糸のかたまりのような犬をいまいましげに睨みつける夫。
名前は中島圭太。近所のメッキ工場で働いている。
圭太は、いつかこの犬を足蹴にしてぶっ殺してやりたいと思っていたが、あんがい、相手は動物なので動きが速い。それにいつも酒に酔っていたので、すばやい動作は不可能だった。
かわりにさらに妻の太もものあたりを蹴り上げた。
「あうう、痛い!」
妻のルルは悲鳴を上げる。
やわらかい腹の部分を蹴れば簡単に殺せる。
だが、俺は親切な男だ。
優しい夫だ。
だから、痛めつけるのは、太ももにしてやってるのだ。
どうして、この優しさがわからないのか。
このバカ女は……。
圭太は泥酔した目で、悲しそうに泣いている妻を睨みつけた。
「いいか。男には仕事の付き合いというものがあるんだ。仕事が終わって、はい、それでさようなら、と帰るようなやつは、仲間とは言えない。やはり、毎日、みんなと飲みに行って飯を食って、ろれつが回らなくなるほど酔うことを繰り返すうちに、ほんとうの友情というものが、生まれて来るんだ」
確かにいまの圭太はろれつが回っていなかった。
「それに口出しをされるのは、決して、いい気分じゃない。それどころか、俺はさいあくな気分になって、激怒しているとだけは言っておこう」
「なにを言ってるんだい。あんたが浮気をしてるのは知ってるんだよ。どうせ、今日も例の女と飲みに行ってたんだろう?」
せいいっぱいの反論をするルル。
「浮気なんかしていない! だから、彼女はただの同僚で、他の仲間も入れて飲みに行ってるだけだと言ってるだろ!」
言い訳をする圭太。ちょっと、しどろもどろになっている。
「あら、その他の仲間ってのは、押川さんでしょ。あたし、押川さんが二時間も前に、帰宅したのを見たわよ」
してやったりという顔のルル。夫を追い詰めたようだ。
「なっ……」
絶句する夫。もともと、頭の動きがあまり速くないので、とっさに反論することができない。こういう男が口では勝てないとわかると、することはただ一つだ。
圭太は暴力に訴えた。
ルルの長い髪を掴んで、居間の柱に叩きつけた。
「うげあッ!」
悲鳴をあげて倒れるルル。白目をむいて、痙攣を始める。ルルは子供の頃に、事故で脳に障害を負っているので、てんかんの発作が起きるかもしれない。
「ちょっと飲み直してくる! ええい、腹立たしい!」
ルルの身体をまたいで出て行こうとする圭太。
だまって自分を見ている、娘のグミが目に入った。さっきまでキャンキャン鳴いていた小犬を抱いて、部屋の隅で植物のように立っている。
その目を見たが、非難してるわけでもなく、悲しんでいるわけでもない。
ただ、無表情に自分を見ている。
完全に感情を殺している。
この娘はいつもこうだ。
何を考えているのかわからない。
「まったく気持ち悪いガキだ。むしろ、感情的になって、ぎゃーぎゃー泣いてくれた方が、子供らしくて可愛いんだが。母親が母親なら、娘も娘だ。俺は、なんと女運が悪いんだ……」
圭太は自分の娘が苦手だった。ぜんりょくでボロアパートのドアを壊れんばかりの勢いで閉めて、出て行った。
残された妻のルルは一人で泣いた。ほとんど泣かない5歳の娘の分もかわりに泣いた。泣き疲れて、過呼吸で頭の芯が痛くなった。
ルルは娘を呼んで抱きしめた。
「あたしは悲しい……」
人形のように無表情で抱かれている娘。顔は自分に似てきれいだが、感情を外に表すことがほとんどない。この原因が自分たちの夫婦仲のせいであることはわかっていたが、ルルにはどうにもできなかった。
別に喧嘩をしたくて夫に絡んでいるわけではない。
夫が、酒とギャンブルに溺れて家庭を顧みないのが悪いのだ。
そうだ。
悪いのは圭太だ。
圭太のせいで、自分と娘は、心が傷ついているのである。
ルルは娘の将来を悲観した。
都立高校の頃の圭太は素敵だった。女生徒のあこがれの的。みんなヒーローだった。不良でかっこいい。紡木たくの漫画、ホットロードの主人公の洋志にそっくりだった。
「あの頃は良かった……」
一方、ルルはチアリーダーだった。自分で言うのもなんだが、美人でモテモテだった。
だが、ルルは凡庸な他の男には目も向けなかった。好きなのは、硬派な圭太ひとすじ。
猛烈にアタックを繰り広げていたが、圭太は女とつるむなんて軟派のすることだと、なかなか応じてくれない。
ようやく圭太と結ばれた時、ルルは宝クジにでも当たったような気分だった。ヤンキーなので、学校を出てすぐに結婚した。
ところが幸せだったのはそこまでで、札付きの不良だった圭太は、まともな会社に就職できるわけもない。アルバイトや肉体労働者、はてはホストまでやったのだが、どれも長く続かない。すぐにキレて喧嘩して帰ってしまう。
学生時代ならば、キレたら喧嘩して相手をボコボコにすれば、自分の評判がより高くなったものだが、社会人になったら、それでは通用しなかった。先輩の一人から、裏の稼業にも誘われたのだが、それにはルルが猛反対をした。
「圭太ってすごいやつだって、みんな思ってたから、将来はなにか自分で道を切り開いて大人物になると信じていたけど……。結局、ただの酒癖の悪いDV夫になってしまったのね」
数年前から圭太はすぐ近所にある金属加工の工場で働いていた。
社長と社員が数人だけの小さな工場だが、圭太はあんがいメッキ職人として腕が良いようで、社長に気に入られていた。なので、今回は夫にしては珍しく数年も続いている。
でも、今時、こんな町工場なんて、いつ倒産してもおかしくない。
ルルは玄関に乱雑に積まれているメッキに使う化学物質の缶を見た。
危険だからやめてくれ、と言っているのに、工場が狭いので、夫は家に持ってきて置いている。しかも、雑な性格なので、なにが入ってるかは知らないが、缶の蓋が開いているものある。
これらが倒れてきて、娘にかかったらどうするんだ、とルルは言ったが、夫は生返事を繰り返すばかりで改善の様子はない。いつもこうだ。
ルルが見ているので興味をそそられたらしく、グミがメッキの容器に手を伸ばす。中に入ってる得体の知れない粉は、色がピンクやブルーできれいなのである。
「だめよ、危ないわグミ!」
あわててルルはグミを捕まえる。
この子は思わぬ行動に出ることがあるので注意が必要だ。
自閉症ではない、と前に相談に行った時、医者には言われた。だが、とても繊細な子であることは確かだ。
「そういえば……」
ルルは隣の部屋のいなくなった長男と、都立高校で同級生だったことを思い出した。
「名前はなんだっけな……。そうだ拓也。坪内拓也だわ」
もちろん、当時はお隣さんだったわけではない。金がなくなって、この代田橋の安アパートに引っ越してきたら、たまたま、そうだったのである。
聞きたくもないのに、お隣の奥さんは自分の蒸発した長男の話ばかりをする。
それでよく聞いてみたら、同級生だったと判明したのである。
「あの男、変わっていたなあ。頭は良かったけど、アスペルガー症候群というやつよね。言うことや行動がいちいちピントが外れている。おかげで圭太なんか、すっかり嫌っていて、休み時間なんかに、よく仲間と周りをとりかこんで足蹴にしていたわ。あっはっはっ! おもしろかったわ」
ルルは幸せだった学生時代を思い出して、微笑んだ。
自分たちの仲間、誰もがヒーローだった時代。
「あの頃は良かった」
だが、お隣の奥さんは、その変人の長男をまるで天才人間のように崇拝していることがわかった。
思い出は美化されるものなのね……。
確かに成績は良かったけど。
あれ、だめでしょ?
あの人は……。
しかし、その変人を美化してしまうという母親の心情を思うと、ルルはせつない気持ちがした。
「グミはいなくならないでね……」
ルルは娘を抱きしめて、また泣いた。
その時。
「こわいッ!」
めったに口をきかない娘は叫んだ。青くなってがたがた震えている。
あたしのようにてんかん体質なのだろうか。
ルルは心配になったが、そんなことはないはずだ。
「あれがくる! あれがくるよ! みんなをにくんでいるの! ころしたい! ぜんいんをころしたいとおもってるの! こわい! こわい!」
娘がこんなにたくさん話したのは初めてだった。驚いたが、問題なのはその言っている内容だった。
「なにが怖いのグミ? あれってお父さんのこと?」
娘を揺さぶる。
「ちがう! パパじゃない! あれはたくさんいるの! みんな、ちにうえている! あれは……」
ルルは目を丸くして娘を見つめる。どうしたらいいかわからない。
グミはとつぜん、指で窓の外を指して絶叫した。
「そこにいるッ!」
裏庭に面している窓だ。なにかが地面の小枝を踏んだ音がした。
小犬のモップが、いきなり、その窓に向かって吠え出した。モップの全身が総毛立っている。
やばい。
これはなにかいる。
ルルは血相を変えて走り、窓を開けて叫んだ。
「誰ッ!?」
モヤシは子供なのですぐに眠れる。熟睡していると、いきなり隣の犬の鳴き声と奥さんの叫び声が聞こえた。いつもの喧嘩とはようすが違う。窓を開けて、なにか怒鳴っているようだ。
「なんだ?」
モヤシは飛び起きて窓を開けた。裏庭の下水口に入っていく人影が見えた。それが人だったならば、だが。
モヤシは背筋が冷たくなった。さっき感じた気配は本物だったのだ。
「河童だ……」
モヤシは小声で言った。
「な、なに? 文二君、知ってるの?」
パニックにおちいっているお隣の奥さんは、モヤシのつぶやきを聞きつけ、窓から身を乗り出して、問いただした。ちなみにモヤシの名前は坪内文二である。
「い、いや。なんでもありません」
モヤシはここで河童のことを言っても信じてくれないと思い、言葉を濁した。
「ああ、どうしよう! 変質者かしら! あれだわ、きっと。町内の元レスラーの男! 前から痴漢してるって噂になっていた。ああ、どうしよう。狙われてるのかしら。怖い怖い。あんな人、野放しにしておくほうが間違ってるのよ」
一応、ミスリードしないように書いておくと、この元レスラーは珍保長太郎ではない。
お隣の奥さんは血相を変えて、スマホで通報をしている。どうやら、痴漢が出たと思い込んでるらしい。
さわぎを聞きつけて、近所の人も窓を開けて見ている。
モヤシはスリッパを履いて窓から裏庭に出た。下水口を覗いた。コンクリートの蓋は外れて、どこかになくなっていた。
「この下水管はどこにつながっているんだろうか?」
モヤシは疑問を口にした。
 

 
あらすじ
呪われた町、代田橋。ここでは今日も怪奇現象が勃発していた。どうやら河童のような生き物が、赤堤沼から現れて、人間を襲って食っているらしい。『ラーメン珍長』のコックで殺人鬼の珍保長太郎は事件の解明に挑む!
登場人物
珍保長太郎:『ラーメン珍長』店主
バカ:新実大介
ヒルアンドン巡査:安藤正義
弱虫探偵団
モヤシ:坪内文二
キチガイ:今金弓彦
デブ:田淵哲
モヤシの母:坪内伊佐子
モヤシの兄:坪内拓也
中学生:唐木政治
中学生の弟:唐木将紀
ウルトラ:門前正月
奥さん:中島ルル
旦那:中島圭太
娘:中島グミ、5歳
小犬:モップ
元プロレスラー:三船龍太郎
大家:生源寺荘子