【怪奇小説】ヒトデ男の恐怖~ウルトラ忍者~

12月 23, 2023

~ウルトラ忍者~
代田橋駅前の汚いラーメン屋『珍長』。
今日も店長の珍保長太郎は機嫌が悪かった。
客が少ない。
売り上げが少ない。
金がない。
そもそもの原因は珍保長太郎の怠惰な態度にある。それは頭ではわかっているのだが、ろくに金を落とさず、だらだらと長居をしている客を見ると、はらわたがにえくりかえってくるのを止めることはできない。
客は一人しかいない。夕刻になると、よく来る初老の男。本人は元俳優だと自称しているが、珍保長太郎はひとかけらも信じていない。頭が狂っているのだ、と思っている。
妄想癖というやつだな。
うんうん。
そうに決まっている。
今日は七時くらいに現れて、すでに二時間くらい、一人で酒を飲んでいる。食い物はメンマなど安いものしか頼んでいない。
その狂人が口を開いた。
「キューリでも、もらおうかな」
狂人のたわごとを聞いて、珍保長太郎は、さもあきれたように言い放った。
「河童の正体はお前か」
「なにを言ってるかよくわからないが、キューリを薄く切ったやつをくれないか」
初老の男はすでに泥酔してるので、頭がよく回らない。店長が変なことを言ってるが、いつものことなので、がまん強く注文を繰り返した。
この店長は、料理のうでは悪くないとは思うが、ときどき、コミュニケーションがうまくできなくなる。
「あいよ。当店で一番安いメニューのひとつであるスライス・キューリだ」
店長はキューリの入った皿を客の前に放り投げ、吐き捨てるように言った。機嫌が悪いようだ。
これは、長居するなら、もっと高いものを頼めという、メッセージなのだろうか?
と初老の男は考えた。
だが、金がないのでそれは無理だった。この店では客も店長も金がないのである。酔っ払って頭の中が濁っているので、長く考えることはできない。
「ありがとう」
とりあえず、初老の男は愛想よく感謝の意を店長に告げた。スマイルはゼロ円である。
店長はにこりともせず、しばらく客を睨みつけていたが、それから、さも軽蔑したように上を向いて目玉をぐるぐる回して、去って行った。
このジェスチャーもよく意味がわからない。
だが、初老の男は邪悪なものが去って行ったので、ようやく安心して自分の世界に戻って行った。
調理場の中では従業員のバカが玉ねぎを剥いていた。もちろん、本名ではなく新実大介という名前があるのだが、珍保長太郎は人の名前を覚えられないので、誰に対しても適当な名前をつけて呼んでいた。
「そうだ。もう、この店の家賃を払わなくてよくなったぞ」
ふと、思い出して珍保長太郎が言った。
「えっ、そうすると……。とうとう、この店を買い取るんですね、店長! おめでとうございます」
バカが早合点して言った。バカだから頭が悪いのである。
「でも、おかしいな。先月も先々月もこの店、大赤字じゃないですか。よくそんな金がありましたね」
「もちろん、あるわけがない。さっき、赤堤で大家をぶっ殺してきた。簡単に殺せたぞ。干物みたいなものだからな……。首を絞めて窒息させようとしたら、その前に首が折れてしまった。あっはっはっ! ゆかい、ゆかい!」
思い出し笑いを始めた店長を見て、バカが血相を変える。
「て……店長。声が大きい。カウンターの自称元俳優に聞こえたらどうするんですか。彼も殺さないとならなくなりますよ!」
バカが店長をたしなめる。
「それも酔狂で良いではないか」
よくわからない余裕を見せる店長。
バカは当初、店長が冗談で言ってるのかと思ったが、すこしも目が笑ってないので、青ざめてきた。
また……。
しでかしてきたのか……。
少ししてバカが客に聞こえないように小声で聞いた。
「……死体は始末してきたんですかい?」
バカは、なんとなく共犯者のような気分になって、三下ヤクザふうの口調になっていた。
「う~む。大丈夫だとは思うんだが、アクシデントがあってな……」
自信のなさそうな店長の口調にバカの心配が爆発する。背筋に冷たいものが走り、脂汗がだらだら出てきた。
「なっ、なにがあったんですか?」
「大家の隣の沼に河童が出るらしく、探検隊が来ていた」
バカは、店長が冗談を言ってるのかどうか、判断をつきかねてしばらく顔を見つめた。
よくわからなかった。
「それで今日はなんとなく、ことあるごとに河童、河童と言っていたんですね」
「そういうことだ」
満足して珍保長太郎はうなずいた。
「河童がなんだって? ういーっ、ひっく」
カウンターの向こう側から、初老の男が会話を耳に挟んで聞いてきた。泥酔してフレンドリーな気分になっているらしい。
プライベートな話に口を挟むとは許せんッ!
にわかに激怒した珍保長太郎は初老の男を殺害しようと、生板の上に置いてあった大きな肉切り包丁をつかんだ。
驚いた初老の男が目を丸くしている。
その額めがけて、くるくると包丁を投げてやろうと、珍保長太郎は大きなモーションでうでを引いた。
その刹那。
ガラガラガラ。
「河童が出たーっ! たいへんだ、珍さん。河童だよ! 本当にいたよ!」
どやどやと、モヤシを始めとする先ほどの三人の子供が駆け込んできた。しかも、泥まみれになって、たいへんに臭い匂いを放っている。
「なんだ弱虫探偵団のガキどもではないか」
珍保長太郎が、これまた適当につけた名前で子らを呼んだ。
「珍さんが帰ったあとに、近所の嫌な中学生がやってきて拷問を受けていたんだよ。あやうく、殺される寸前だったんだけど、そのとき、河童が沼から上がってきて中学生に噛み付いたんだ!」
あわてふためいて報告をするモヤシたち。大興奮して手足をバタバタ振り回している。
子らは珍保長太郎も一緒になって驚いてくれると思ったのだが、意外と反応が冷たい。冷たいどころか、なんか怒っているようだ。
「嘘つきッ!」
珍保長太郎が立派な大人のふりをして、子供たちをしかりつけた。
「えっ?」
子らは驚いた。
「汚くて臭い、嘘つきのガキどもめッ! 河童の話などをでっちあげて、地域の有名人にでもなりたいんだろう? ああん? ホラ話をしゃべればしゃべるほど、お前の鼻がピノキオのように伸びてきているのが、俺には見えるぞ!」
人の話を聞かず、断罪して、悦に入る珍保長太郎。
態度がえらそう。
「嘘じゃないよ! 河童だ! ほんとうに河童が出たんだ! 僕たち、泥まみれで寒くて、死にかけてるんだよ! 助けてよ!」
珍保長太郎がまったく信じてくれないので、モヤシは泣きそうになって反論した。
もう少し世慣れているキチガイがモヤシをとめる。
「無駄だよ。はなから信じちゃいないよ。あきらめな。大人なんてみんなこうだよ」
「ううー」
不満そうなモヤシは犬のようにうなっている。
「臭いからさっさと店から出て行け!」
ひどい珍保長太郎。
あまりに店長の冷たさに、バカが嫌な顔をして横目で睨みつけた。
その時、あんがい機転のきくデブが魔法の呪文を唱えた。
「ヤサイアブラましまし!」
「えっ」
意表を突かれて驚く珍保長太郎。
デブは、バンと1000円札をカウンターに叩きつけた。
「ほら、客だよ。珍長ラーメン一つ。客だから、もう僕らを追い出せないよね」
してやったり顔のデブ。
デブの機転にモヤシとキチガイも目を丸くした。
「うっ」
追い出したかったが、金があまりにもないことは確かなので、珍保長太郎はこの肥満児の言うことに、したがうしかなかった。むっつりした顔で、いやいやラーメンを作り始める。
このガキども。なにがあったかは知らんが、河童が出るなどをホラを吹きやがって。
ばかばかしい。
なにが河童だ。
俺が何よりも恐れているのは、このガキどもがいい気になって河童の話を吹聴して回って、本気にしたアホどもが赤堤沼に集まることだ。
くそー。
くそー。
腹が立つなあ。
悪い方向にばかり、話が進んでいくぞ……。
珍保長太郎が、なぜか鬼のような形相でラーメンを作ってるので、カウンターの初老の男は不審に思った。酔ってるので話し相手が欲しいところだったが、本能的に話しかけるのは危険だと判断してやめた。
意外と従業員のバカは世話好きだった。濡れねずみになって寒さでふるえている子らに、店の奥からバスタオルやチンした濡れ手拭いを持ってきた。
それから、親切そうに子らの身体を拭いてやったが、妙に股間ばかり拭いている。
なんか鼻息が荒い。
気持ち悪い。
モヤシはこの男は気をつけようと思った。
できあがった脂っこいラーメンを三人で分ける子ら。モヤシが富士山のように盛られていて、なかなか麺にたどり着けなかった。
モヤシは安いので珍保長太郎は盛大に入れて、なにかを誤魔化しているのである。
子供たちはようやく、身体が暖まって、一息ついた。
「……しかし、あれ、河童じゃないよな」
とモヤシが言う。
「どろどろして輪郭はよくわからなかったけど、河童という雰囲気じゃなかった。頭に皿があるとか、手足に水かきがあるようには見えなかった」
「そういえば、そうだな。なんだろう、あれ」
デブが口いっぱいにモヤシをほおばりながら、答えた。
「宇宙人だよ……。太古にUFOがあのへんに不時着して、沼の底に住み着いてるんだよ!」
キチガイが意見を言う。
モヤシは彼の目を見たが、冗談で言ってるのではないらしい。本気で宇宙人を信じているようだ。このへんがキチガイがキチガイと呼ばれている、ゆえんなのである。
「そんなスケールが大きな話なのか」
モヤシが言う。
「そうとも! 人食い宇宙人だよ! 彼らにとって、人類は、下等な肉用の動物でしかないんだよ! やばい、やばいよ!」
子供たちの議論は白熱していた。いつもはこういう話に喜んで参加してくる店長は、今日はなぜかむっつりして、ふさぎ込んでいる。
モヤシはちょっと気になったが、河童の正体を推測する話に夢中で、すぐに忘れた。
そのかわり、カウンターの横にいた酔った初老の男が、さかんに話に参加しようとしてきたので、子供たちに、うざがられていた。
「ほほう。怪獣の話か。おじさんも怪獣は大好きだ! 怪獣は夢があっていいよな!」
悦に入ってノスタルジーモードになってる知らないおっさんに、子らは白い目をむけた。
初老の男は、子らの反応が思ったより薄いのに、がっかりしたが、酔っ払って人さびしくなっていたので、勝手に話を進めた。
「お前たち、ウルトラって知っているか?」
男は子らにたずねる。
「知ってるよ。ウルトラマンオーブとかだろう。別に興味はないよ」
冷ややかに答えるモヤシ。会話を続けたくないという態度がありありである。
「ちっちっちっ」
ざんねんそうに舌打ちをして、指を振り回す酔っ払い。
急に演技がおおげさになってきた。どうやら、これは、このおっさんが泥酔すると話し始める定番の話題らしい。
「ウルトラマンはパクリなんだよ。あれとは別のウルトラがあって、こっちが本物なんだ。放送はウルトラマンの方が先になったけど。ま、企画はこっちの方が先なんだ。製作会社が倒産したり企画が流れそうになったので、十年以上、遅れてしまったけど……」
「えっ」
ちょっと興味を惹かれる子ら。
「ウルトラ忍者というのがあったんだ」
男は一瞬の間を空ける。
それから見得を切る歌舞伎役者のように頭をひねり、彼の中では、誰もが驚いて椅子から転げ落ちてもおかしくはないらしい、決め台詞を言った。
「俺……ウルトラ忍者だったんだよッ!」
どうだ、と言わんばかりのおっさん。
自信満々に、えーっとか、すごいーっとか、驚きましたよっ、などと言う反応が返ってくるのを待った。
ところが、なにもない。おっさんは子らの顔を見回す。
きょとんとしている。
よく意味がわからなかったのだ。
初老の男は、がっかりした。
三十年前ならば、俺がこう言えば、誰もがびっくりして、たちまちサインを求められたり、怪獣談義が始まったものだったが……。
「はっはっはっ。まあ、小さいから知らないのも無理はないか……」
さびしそうに笑うおっさん。
「俺、二十代の頃に俳優をやっていて、ウルトラ忍者の役で人気があったんだよ。あの頃はすごかったなあ。信じられないようなエピソードがあるんだ。ちょっと聞きたいだろう?」
「えっ」
迷惑そうな顔をするモヤシたち。
河童の話をしたいのに……。
この、おっさん、どっか行ってくれないかな。
急激に態度の冷たくなる子供たち。
彼らは初老の男に背中をむけて、自分たちの話題を続けようと思った。
酔っ払って機嫌の良かった男だが、相手の態度が悪いので、だんだん怒り出した。
「人の話を聞けッ! 俺はウルトラなんだよ、ウルトラッ! 子供たちの人気者、ウルトラ忍者だったんだ! 有名人なんだぞッ?」
めいわくなことに酔っ払いは子らにからみはじめた。
店内の様子をつねに注意深く見ているバカは注意しようと口を開きかけた。
「ぶはははははははははははっ!」
その時、珍保長太郎が大爆笑をした。
カウンターを叩いて、涙を流して笑っている。
調理場を出て初老の男の前に行き、肩を掴んで揺さぶった。一緒にダンスさえ踊りそうな雰囲気だった。
「ウルトラ! ウルトラ! お前、ウルトラだったのか。このおっさん。いい話を聞いた。今日からお前の名前はウルトラだ!」
反論するすきを与えず珍保長太郎は、ウルトラを軽々とつまみあげて、店の外に放り出した。硬いアスファルトの上に倒れる酔っ払い。
「あっ、痛い」
汚いものを触ったかのように珍保長太郎が手をはらう。
「二度と来るな! このウルトラめッ!」
さびしそうに帰る初老の男。片足がびっこを引いている。
じわじわと出てきた涙で、前がよく見えなかった。
安アパートに帰ってから、ひとりで号泣した。
その日から、男はウルトラと呼ばれるようになった。

 
あらすじ
呪われた町、代田橋。ここでは今日も怪奇現象が勃発していた。どうやら河童のような生き物が、赤堤沼から現れて、人間を襲って食っているらしい。『ラーメン珍長』のコックで殺人鬼の珍保長太郎は事件の解明に挑む!
登場人物
珍保長太郎:『ラーメン珍長』店主
バカ:新実大介
ヒルアンドン巡査:安藤正義
弱虫探偵団
モヤシ:坪内文二
キチガイ:今金弓彦
デブ:田淵哲
モヤシの母:坪内伊佐子
モヤシの兄:坪内拓也
中学生:唐木政治
中学生の弟:唐木将紀
ウルトラ:門前正月
奥さん:中島ルル
旦那:中島圭太
娘:中島グミ、5歳
小犬:モップ
元プロレスラー:三船龍太郎
大家:生源寺荘子