【怪奇小説】ヒトデ男の恐怖~サンダー・ファイヤー~

~サンダー・ファイヤー~
あな恐ろしや、ヒトデ男の怪異。
しばらくして、モヤシが兄をラーメン珍長に連れてきた。ついでに、デブとキチガイもついてきた。今回の冒険の打ち上げという感じらしい。モヤシの兄、坪内拓也は十年ぶりに本物の風呂に入り、床屋に行って髪を切った。ずいぶんとさっぱりして、救出されたときとは別人に見える。
「お母さんも連れてこようと思ったんだけど……」
モヤシが、ためらいがちに口を開く。
「お母さんは、どういうわけか兄さんを兄さんだと認めないんだよ。これは拓也じゃない。あなたは誰ですか。なぜ、拓也の名前をかたるんですか。なにか腹黒いものを持っていて、あたしたちを騙そうとしてるんでしょ。許せない。殺してやる。……って調子で。すっかり、困ってしまったよ」
「モヤシのママは頭がおかしいからな」
小学生なので、なんの配慮もなくキチガイが口を挟む。指先を脳天にむけてクルクルと回している。モヤシもそれが明白な事実だとわかっている。先を続けた。
「さいしょは、ことあるごとに兄さんを追い出そうとしていたんだけど、僕が毎回とめていたらあきらめたよ。今では、お母さんの頭の中では、この人は兄さんの先輩で我が家に居候をしている、……ということになってるらしい」
「うむ。めんどくさい家だな」
珍保長太郎は特に興味はなかったが、一応、話し相手をしてやった。
「古井戸から出られたのはいいけれど、あれやこれやで、すっかり兄さんは元気がなくなってね。珍さんの特製ラーメンで元気をつけさせてほしいんだ」
珍保長太郎は兄の方を見る。毛の薄くなった顔色の悪いおっさんだ。十年間に渡る暗黒生活。カビや寄生虫だらけになっていたのだろう。全身の皮膚に、シミや吹き出物、イボ、イボの巨大化したクレーター状のものなどができて、まだら模様になっていた。四十すぎくらいに見えるが、まだ三十前後らしい。
珍保長太郎はモヤシの兄と話して、三秒で大っ嫌いになった。あまりにも嫌いになったので、おもしろがって、たくさん会話をしたくらいだ。珍保長太郎をよく知らない人が見たら、気に入ったと思ったかもしれない。
「地上に戻って衝撃的だったのは、セイブ愛地球がなくなっていたことだ……」
モヤシの兄、坪内拓也が重々しく口を開く。鬱病の気質があるようだ。
「えっ、なんですか。それは?」
軽快なリズムで合いの手を入れる珍保長太郎。拓也は相手の心情を想像するということができない性格なので説明はしない。むしろ、よけいな口をはさまれて迷惑だ、と言うように口のはしを歪める。かなり神経質なようだ。
「……まったく、どこに電話をかけても、誰に連絡をしても通じない。ここ数日間、アジトや関係者の家を回ってみたが、もう誰もいない。まるで、セイブ愛地球が存在をしていなかったようだ。信じられない。そんなバカなことがあるはずがない」
「まったく世の中、間違っていますよね」
このバカがなにをほざいているかは知らないが、言ってもらいたいことは容易に想像ができたので、珍保長太郎が言う。
「その通りだ。わかってくれるか。あんたも何かの運動をしていたのかね?」
拓也は、このラーメン屋を少し見直した。活動家が世間を欺くためと生活のために飲み屋や古本屋をやるのはよくあることだ。相手の返事を待たずに拓也は先を続ける。
「セイブ愛地球の活動概念は完全に正しいものだ。それを知ったものは誰でも支持者にならざるをえない。だから、セイブ愛地球が世間から姿を消したということは、政府から強力な妨害があったということに違いない。おそらく、関係者全員が国際指名手配を受けて、国民が知らないところで処刑されたのだろう……。恐ろしいことだ。これが近代国家のすることか。北朝鮮の方が、よほど民主的に見えるぞ」
拓也は怒りに身を震わせた。腹が立ってきたらしい。
「よくわかりませんが、名前からするとセイブ愛地球はシー・シェパードやグリーンピースみたいな環境保護団体ですよね。この人たちは抹殺されていないようですが……」
店員のバカが横から口を挟む。この男は休日には原発反対のデモに出かけたりするというめんどくさい人間だ。
「そうそう。俺も最初はセイブ愛地球がシー・シェパードと名前を変えたのか、と思った。しかし、調べてみると違う。組織を調べると外人ばかりだし、向こうも七〇年代からやってる。まあ、セイブ愛地球の概念があまりにも素晴らしいので、パクッて換骨奪胎し、そのために大きくなったんだろうとは思う。セイブ愛地球の活動は世界中で注目を浴びていたし、外国人は日本人と違って、他人のものを勝手にマネしても、恥ずかしいとは思わないからな」
両手を握りしめてワナワナと震える拓也。あまりにも芝居じみて、ばかばかしくなってきたので、珍保長太郎はチャチャを入れたくなったが、気のきいたジョークが思いつかなかった。
「こんなはずじゃなかった……。俺がいない間にも、セイブ愛地球は着実に支持者を増やし、政権第一党になり、日本を世界一の環境立国として作り直し、国際的に絶賛をあびているはずだったのだ。そして、俺が凱旋すると、伝説的で偉大なヒーローとして受け入れられて、代表か党首になるはずだったのだ。俺はそのつもりで戻ってきた。戻った途端、総理大臣になっているはずだったのだ。それを信じて、じめじめした井戸の底で耐え忍んできたのだ……」
ドン!
拓也は、にぎりしめたこぶしでカウンターを殴りつけた。立ち上がる。
「それがどうしたことか? 凱旋した俺を待ち受け、紙テープを投げて歓声を上げる人々はどこにいるのだ? 銀座をパレードするために乗るキャディラックのオープンカーはどこで待っているのだッ! ウソだッ! ウソだッ! 世の中、ウソとまやかしばかりだッ! セイブ愛地球が跡形もなくなっているなんて、あるはずがないッ! もし、ほんとうにそうだとしたら、その責任は日本人全員にとってもらわねばならないッ! 美しい国、日本を世界に広め、地球を愛に満ちた星に変える予定だったセイブ愛地球の芽を、愚かな日本人どもが全員で握り潰したのだッ! いったい爆弾を何個仕掛け、何人の人間をテロで殺せば、日本という国はまともになるのかッ? 御用学者、生源寺荘子のほかにも何人ものバカをテロで殺してきたが、それでもバカはいなくならないッ! 不毛だッ! なんという不毛なのだッ! バカには限りがないのかッ? それとも、お前ら日本人全員がバカで愚か者なのかッ? ならば、日本人全員をテロで殺さないと日本は美しい国にならないのかッ! いったい、どうしたらいいんだろうッ? どうして高尚な思想を持った俺のような超人が他にも現れないのかッ! 俺はたったひとりで日本を見守ってきたが、もうほんとうに疲れてしまったよッ!」
大演説を始める拓也。活動家なので演説は得意なのだろう。
「お前はバカだッ!」
拓也はモヤシに指を突きつけて叫んだ。
「お前はバカだッ!」
拓也はデブに指を突きつけて叫んだ。
「お前はバカだッ!」
拓也はキチガイに指を突きつけて叫んだ。キチガイは白目をむいてバカにした。
「お前はバカだッ!」
拓也は命知らずにも珍保長太郎にも指を突きつけて叫んだ。珍保長太郎は、料理中で聞いてなかった。
「お前はバカだッ!」
拓也は、すみでゴソゴソ作業をしていた、店員のバカにも指を突きつけて叫んだ。
「……はい?」
バカは自分の名を呼ばれたと思って聞き返した。
ハアハアハア……。
もうバカにする人間がいなくなった。拓也は肩で息をする。どこかに、もっと責任を負わせて、やつあたりができる人間はいないだろうか……。目標を失った指先がフラフラと揺れる。
拓也は、その指で自分を指した。
「俺がいちばんのバカだ……」
古井戸の中で十年間をすごした男。坪内拓也は立ったまま、静かに泣いた。まばたきもせず、大きく目を見開いたまま、滝のように涙を流す。大量だ。十年間分の涙だからである。やがて、足元にしおからい水たまりができた。
モヤシは兄になにか声をかけてやりたくなった。しかし、頭の中がからっぽでなにも浮かばない。兄と違って頭があまり良くないのである。その時。
ドン!
「ウルトラーメン! お待ちッ!」
景気良く珍保長太郎が水銀入りのラーメンを出す。重く張り詰めた店内の空気が変わる。ホーッと子供たちは安堵のためいきをついた。
「これはどんな人間でも元気に変えるという伝説のウルトラーメンであるッ! 何しろ、原材料が特殊すぎるので、あまり作れない。これが最後の一杯だ。また、豊洲市場に行って……、いや何でもないッ!」
拓也はいきなり出てきたラーメンを見た。ふいうちだったので驚いていたが、考てみるとラーメン屋に来たのだから、ラーメンが出るのは当たり前のことだ。それに、これは十年ぶりのラーメンだ。活動家時代の拓也はラーメン好きで知られていた。よく大通り沿いにあるラーメン屋に入っては、人の流れを観察し、どこに爆弾を仕掛けるといちばん効果的か、などと計算をしていたものだ。
グーッ。
拓也の腹が鳴った。これはうまそうだ。さらに珍保長太郎と店員のバカは、子供たちの前にもラーメンを並べた。こちらはもう水銀切れなのでふつうのラーメンだ。ちなみに、二郎系である。
「いただきます」
拓也はカウンターに戻って素直に食うことにした。
ズルズルズル。うまい。久しぶりすぎて泣けてくる。刑務所に長期間入っていた受刑者が、釈放されて初めて食べるラーメンが、こんな味ではないか?と拓也は思った。
異変が起きたのはそのあとだった。拓也はウルトラーメンという不思議な名前のラーメンをほとんど食べた。あとはスープを三分の一ほど、残すのみ。非常にうまかったが、どういうわけか泥状のものが底にたくさん沈んでいた。これはなんだろう……。おそらく、企業秘密というやつだろう。聞いても教えてはくれまい。一見、ただの土のようにも見えるが、そんなバカなことはあるまい。ラーメンに土を入れるやつなんかいないからだ。
「フオーーーーーーーーーッ」
身体が熱くなってきたことを感じた拓也は、蒸気のような吐息を吐いた。俺はスチーム・ローラーだ。ふいに拓也は変な言葉が頭に浮かんだ。なんだ、これ。蒸気機関のことなどは、少しも考えていなかったし、少しも興味などないのだが……。俺の脳がすこし変だ。
「フハーーーーーッ! シュッポ! シュッポッポ!」
熱い。熱すぎる。白熱した内燃機関と化してきた拓也は、再び、熱い吐息を吐いた。なんということだろう。蒸気機関車の煙突のような音が口から出た。どうしたの、俺の脳。俺の脳。
しかし、悪い気分ではなかった。心も体調も絶好調。なぜか、蒸気機関のイメージがむやみに頭の中に浮かんでくるのをコントロールできないほかは、かつてないほどの良い調子だ。身体中から新しい力が湧いてくる……。何百馬力のスチーム・ローラーに俺は変わった。……なんだ、また蒸気機関のことが勝手に頭に浮かんだぞ。とまらんのか、これ。
「シュ……、シュ……、シュ……」
拓也は蒸気機関車が蒸気を吐くような音を口で出しながら、椅子から静かに立ちあがった。弟のモヤシがちょっと不思議そうな顔で兄の行動を見ている。
「兄さん、なにやってんの」
モヤシが聞く。兄は振り向いて口を開く。どういうわけか、白い湯気が口からあがる。
「シュッ! シュッ! ポッ! ポッ!」
冗談のつもりだろうか……。モヤシは不審に思った。兄はひとかけらもユーモアの精神がなかった。もうちょっと心に余裕があって、ジョークを言うような人間だったら、こんなに嫌いにはならないんだけどな。兄はなにやら、腕を身体の脇で、くの字に曲げて、車輪のように回し始めた。
「シュッポ! シュッポ! シュッポ! シュッポ!」
なにが始まったんだ。続いて兄は列車が線路の上を通過するような音を口から出した。
「ガタンゴトン、ガタンコトン、ガタンゴトン」
兄は足踏みを始める。絶好調のマラソン・ランナーのようだ。
「フーフーッ! フーフーッ!」
顔色は健康そのものなので、具合が悪いわけではなさそうだ。ただ、行動が解せないだけだ。兄は身体中にエネルギーが満ち満ちているように見える。
「シュッポ! シュッポ! シュッポ! シュッポ!」
口から白い蒸気を吐く兄。音がするだけではない。ほんとうに煙が出ている。
「ピィーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ」
とつぜん、笛のような大音響を出す兄の拓也。これは汽笛らしい。店中の人間が拓也の異常な行動に気がついて振り向く。みんな、目を丸くして見つめている。
「出発進行ッ!」
楽しそうに拓也は始まりを告げる。なにが始まるのか。終わりの始まりだ。ザ・ドリフターズがふざけた行進をするように、拓也は店の中を駆け出した。ふいにカウンターの中に手を伸ばして、ぶら下がっていた出刃包丁をつかむ。珍保長太郎が『人殺し一号』と名付けている、単なる西友で買ってきた包丁だ。
「お、おい」
珍保長太郎がとめようとするが遅かった。拓也の動きは異常に速かった。人間のものとは別の内燃機関が身体の中に埋め込まれているようだ。
「オイッス!」
左手で出刃包丁『人殺し一号』を持ち、右手で敬礼をする拓也。
「ニンニキ、ニキニキ。ニンニキ、ニキニキ」
ふざけたでたらめなマーチを歌いながら店から出て行く。誰もとめなかった。第一に拓也が、とびっきりに楽しそうだったからだ。自殺や他殺でもしそうな思いつめた表情なら、とめていただろうが。第二に、弟のモヤシ以外は拓也をあまり知らなかったからだ。大阪のオバサン以外は、街中で他人の行動に口を出したりはしないものだ。モヤシは拓也がめんどくさい性格であることを知っていたので、良いことでも悪いことでもなにか意見を言うことはやめていた。あと、びっくりして頭の中が真っ白になっていたせいもある。

 
あらすじ
呪われた町、代田橋。ここでは今日も怪奇現象が勃発していた。どうやら河童のような生き物が、赤堤沼から現れて、人間を襲って食っているらしい。『ラーメン珍長』のコックで殺人鬼の珍保長太郎は事件の解明に挑む!
登場人物
珍保長太郎:『ラーメン珍長』店主
バカ:新実大介
ヒルアンドン巡査長:安藤正義
弱虫探偵団
モヤシ:坪内文二
キチガイ:今金弓彦
デブ:田淵哲
モヤシの母:坪内伊佐子
モヤシの兄:坪内拓也
中学生:唐木政治
中学生の弟:唐木将紀
ウルトラ:門前正月
旦那:中島圭太
奥さん:中島ルル
娘:中島グミ、5歳
小犬:モップ
元プロレスラー:三船龍太郎
大家:生源寺荘子
セイブ愛地球:環境保護団体
安倍晋三:総理大臣