【怪奇小説】空手対幽霊〜オシッコ大好き人間〜

12月 23, 2023

〜オシッコ大好き人間〜
『江戸男』の営業時間は、風営法により第一部が午後五時から午前一時、早朝営業が午前五時から午前十時までになっていた。
第一部の営業が終わってから、如月はノロマを裏口から店の駐車場に引きずり出した。ノロマは無抵抗だった。如月は動物の内臓が詰まったゴミ袋を引きずっているような嫌な気分になった。
『大人しい』とか『気がきかない』だけならまだましなのだが、ノロマはなにか生理的な嫌悪感を関わる者すべてに抱かせた。そんな不快なホストが客に人気が出るわけがない。
このようなまったく客商売向きじゃない人間が、ホストを目指していること自体が間違ってる。だが、こういう間違った目標を目指し、人生の時を無駄にし、がんばっちゃってる勘違い人間が多いのが、この東京という非情な街である。彼らが
東京という生き物の栄養分だ。
「ご……ごめんなさい、如月さん。もっとがんばります」
がんばっても無理な物事がこの世にはある、という現実を誰かノロマに教えてあげるべきだ。ノロマは、おしゃれな如月の長髪と違い、単に切らないので伸びてるだけという、うっとおしい長い前髪のため顔の表情はよく見えなかったが、声の調子からすると、すでに泣き出しているようだった。
「店に大損害を与えちゃったんだよッ? あんたッ! わかってんのッ? やっぱ店のナンバーワンの責任としては、駄目な部下がいたら、身体を張って教育しないといけませんよねえ? あーん?」
如月は真面目そうな顔で言ったが、人格が根本から軽薄な人間なので、いくら表面だけを繕っても、やはり『ニセモノ』『インチキ』『ウソツキ』という感じは拭えなかった。
「ああ……、ごめんなさい……。ごめんなさい……」
ノロマは土下座し、駐車場の固いアスファルトに頭を押しつけて謝った。それを見て、如月は大声で怒鳴りつけた。ノロマはおびえてビクリと肩を震わせた。
「ごめんで済んだら警察はいらないでしょッ? 有名大学出てんのに、そんなこともわかんないのッ? あの客はよく金を落としてくれる客なんだよ。それをお前は今日ッ! 切ってしまったかもッ! 知れないなあッ! お前の後に俺が入ってなんとか気分だけは良くなって帰っていただいたが、また来てくれるかは怪しいものだ。 いったいどうやって、責任を取ってもらえばいいかなあッ? 有名大学出のノロマさんよッ!」
ねちねちと如月はノロマをいびった。三流の高卒ということに劣等感があるのだ。如月はこういう時こそ、至上の幸福を感じるたちだった。わかりやすい人間のクズである。
「まったく申し訳ありませんッ!」
大袈裟にノロマが頭を下げた。誠意を見せようと勢いをつけ過ぎて地面にぶつかり、けっこうな音量で鈍い衝撃音がビルの谷間の駐車場に響いた。小動物のように泣きじゃくるノロマの気弱そうな顔を見ると、如月に激しい殺意が湧いた。
ああ、この気持ちは我が師承、鉄玉郎さんがいつも俺を見て感じている感情なんだろうなあ……。
と如月は思った。
俺も鉄玉郎さんの領域に近付いてきたようだな、と如月は思いニヤリと笑った。死に神のような笑い——のつもりだったが、鉄玉郎のような完全に狂った人間の凄みのある笑いには、まだまだ遠いものだった。しかしそれでも、パニック状態のノロマには効き目があった。
「びやッ!」
ノロマは動物の鳴き声のような得体の知れない音を口から出すと、自分の死を覚悟して失禁した。
「ああ……。漏れる……。おしっこ……。出ちゃいました……」
プルプルと震えるノロマのでかい尻のあたりに小便の池ができた。ノロマは運動不足の人間特有の女のような尻をしていた。ホモには、もてそうだ。
失禁したノロマを見て、如月の『可愛がり』を見物しに出てきていた赤石と店の雇われ店長である初老の男、飯塚が笑った。
駐車場はビルの間の奥まった場所にあり、通行人の目からは完全に遮断されていた。なので、ここはよく青姦に利用されていた。
如月も時間のない時や相手の女に金をかける価値がないと思った時は、この駐車場で立ったままセックスをしたりした。一流店のホストならば、いかに客の女とセックスせずに、夢中にさせておくかが腕の見せ所になる。
だが、如月のような三流の店のナンバーワンでは、そんな悠長なことは言っておられず、ひたすら犬のように客とやりまくって繋ぎ止めておくのが仕事のやり方だった。いわゆる枕ホストである。軽蔑されて当然の下層の人間である。
それで駐車場で青姦した時に出るティッシュやスキンなどのゴミを後で掃除するのは、ノロマのような新人の役目だった。
つまりここは、人が殺されようが三時間かけてレイプされようが、誰にも気付かれないような場所だったのだ。それはノロマにとっては不運なことだった。
最低だ。
この男は本当にいくらいびっても、いびり足りない。
と如月は思った。
「幼稚園児のようにしょんべん、たらしたんでちゅかッ? そんなにしょんべんが好きなんでちゅかッ? お前はしょんべん大好き人間なんでちゅかッ?」
如月がおどけて言う。こんなのは本当にひとかけらも面白いとは思わないのだが、如月は自分のことを『とても面白いやつ』だと思いこんでいた。人間のクズだから仕方があるまい。
如月の御機嫌を取ろうと、口の端をひんまげた人格のいやらしさと卑屈さがにじみ出た笑顔で、赤石が必要以上に大きな声で笑った。店長の飯塚は、もともと頭があまり良くないたちだったので、普通に面白いと思い笑った。ギャラリーの反応を見て、如月はさらに勘違い度を深めた。芸能界入り間近である。
「おしっこは好きではありませんでありますッ!」
混乱したのか頭を打ったせいなのか元気に見せようしたのか知らないが、ノロマと呼ばれる男はなぜか軍隊口調になり力強く答えた。
「ああんッ? 好きじゃありませんだとッ? てめえ、俺に逆らう気かッ? 俺をナメるもいいかげんにしろッ!」
気が狂ったような大声で、如月はノロマと呼ばれる男を恫喝した。
「どうして、これがナメたことになるのか、全くわかりませんッ!」
もっともである。虚勢は一瞬で崩れて、ノロマはまたもや涙声になった。
「先輩の言ったことは絶対だッ!」
如月は全体重をかけ固い革靴の踵で、ノロマの肩のあたりを蹴り下ろした。
「先輩が『しょんべんが好きだな?』と言ったら『ハイ、もちろんその通りです』と答えるのが、世間の常識ッつうもんだろッ? 大学を出てると思ってエラソーにするなッ!」
まったく不条理な言いがかりをつけて罵倒する如月。
「偉そうにしてませんッ! すみませんッ! おしっこは大好きですッ!」
「小便が好きだってッ? 驚いたな、もう。お前、完全な変態じゃねえの? ふへ。最低だな。有名大学を出ていようと、人間の品格としては、やはり俺の方がずっと上のようだなッ! 人間は学歴じゃないよッ! 心だよ……心ッ!」
人間の心など一度も持ったことがないくせに如月は偉そうに言った。
それからチャックを下ろして、オチンチンを出した。少し硬くなっていた。白くて長かった。太さはないが、蛇のように細長かった。仕事の道具だ。如月はだらんとしたそれを、ノロマの顔に向け放尿した。
「ギャアアアアアアアアッ!」
たまらず悲鳴を上げるノロマ。膀胱がいっぱいになっていたので、小便はいつまでも勢い良く流れ出ていた。
「しょんべんかけられて、うれしいんでしょ? そういう種類の人間なんでしょ? あんた。感謝しろッ! ボケ! 『しょんべん、かけられてうれしいですッ!』と言って、土下座して謝れッ!」
「し……小便をかけられて、うれしいでございますッ! ありがとうございましたッ!」
尿にまみれながら、頭を地面に擦りつけ必死に謝るノロマ。もはやその姿、生きた人間のようではない。真夏にゴミステーションで腐って虫が湧いている生ゴミ袋のように、汚らしく見えた。
「ありがとうございました、だとッ? 過去形かッ! 貴様ッ!もうこれで終わりにしろと言いたいのかッ! それは、俺様が決めることだッ! ああッ! 図々しいッ! 図々しいにも、程があるぞッ! 控えめにしていれば、つけあがりおってッ! まったく、もうッ! 生意気ッ! 超生意気すぎッ! 俺ッ! もう、キレたッ! 完全にキレたかんねッ!」
ノロマが謝ったのに、なぜか激怒しはじめる如月。話を早く終わらせたい一心で、土下座までして小便をかけられたのに……。ノロマは、見当のつかない如月の行動に戸惑って不安になった。
「ていっ!」
怪鳥のような奇声をあげると、如月は足で地面を蹴り跳び上がった。鉄玉郎のマネである。ノロマは顔を上げて如月を見た。地上から1メートル位の高さで、如月の姿は一瞬止まったかのように見えた。
しかし、それから地球の引力に引きずられて落下しはじめた。如月はその落ちる勢いを利用して、ノロマの顔面に固く握りしめたコブシを叩きつけた。名付けるならば『ニュートン・パンチ』というところか。
グシャ!
なにがか潰れた。不快な音だった。
ホストをやろうと思ったくらいなので、ノロマの顔は決して不細工ではなかった。しかし、それも一秒前まである。
今ではノロマの鼻の軟骨は完全に粉砕して、頭蓋骨の中にめりこんでいた。ノロマの鼻があったあたりに、ちょっとした穴が開いていた。
もうホストどころではない。
人間には見えない。
これからは一生、鼻があったあたりに穴が開いたまま、生きなければならないのだ。こんな可哀想な人生があるだろうか。
殴られた勢いで、ノロマは背面跳びのように後ろに回転し、後頭部を激しくアスファルトにぶつけた。頭蓋骨が折れたかも知れない。
どす黒い血が、どくどくと耳の穴から流れ出た。ノロマは痙攣した。即死しなかったのが、不思議なほどだ。
それなのに如月は、やりすぎた自分の暴力で、大怪我をおったノロマの心配もせず、唾を吐きかけ罵倒した。
「立ち上がれッ! お前は神聖なホストという商売を舐めてるッ! ホストなんて誰でもできると思ってんだろッ?」
如月は流し目で、同僚の赤石、店長の飯塚の顔色をうかがった。
「このインテリ先生はよッ! 俺たちホストのことをッ! バカにしてるんだッ!」
「その通りッ! まったくその通りッ!」
如月の言うことならなんでも賛成する赤石と、自分の意見がなくまわりに流されやすい飯塚はうなずいて答えた。二人の同意を得た如月は、いよいよ増長して勢いづいた。
以前、鼻のあった穴から血を流して立ち上がったノロマに向かって、如月はきんきんした耳障りのする声で絶叫した。
「ホストなめんなョッ! 俺らはッ! この商売にッ! 命をかけてッ! やってるんだッ!」
嘘ばかりである。かけてるわけがない。こういう『ニセモノ』に限って、偉そうに大層なことを言うものだ。
ノロマと呼ばれた男は、頭から血を流しながら、かろうじて立ち上がった。
その股間に如月は容赦なく蹴りを入れた。不具にするつもりか……。
空手の公式な試合であれば確実にかわされるような、大きなモーションの前蹴りである。如月は空手の才能はなかった。運動神経がなかったのである。
しかし、濡れたズダ袋のように、立ってるだけで精一杯のノロマは、避けることができない。固い革の爪先が直撃したので、睾丸が二つとも潰れてしまった。チンポコの先から血が吹き出した。
これでノロマは一生、子供を作ることができなくなってしまった。もちろん、如月は人間のクズだから、そんなことはまったく意にしない。
一瞬、時間が止まったようにノロマは静止した。核戦争後の地球のように、数秒間駐車場を静けさが支配した。
「ぶおふぁっふッ!」
突然、ノロマは立ったまま、口から血の入り混じった大量のゲロを吐き出した。反射的に股間に手をやり押さえようとしたが、それが良くなかった。割れた生卵のようなつぶれた睾丸に触れたとたん、痺れる痛みが背骨を伝わって脳に届いた。
それまでは、余りにも痛すぎて情報が伝わっていなかったのである。激しい痛みの信号が、汚名をばん回するように、脊髄の上から下まで何度も往復した。
物凄い苦痛ッ!
「ぐおふふっ!」
日本語にならない、獣の叫び声を上げるノロマッ!
彼は冷たそうな月に向かって咆哮した。絶滅寸前のネアンデルタール人のようである。子孫を残すことは、もうできないのだ。
クリーム色のズボンの股間のあたりに、赤い染みが広がった。
どうと、倒れてくるノロマこと本名辺見孝志。このまま死んでしまうのかも知れない。落ちてくるノロマの頭を、非情にも如月の膝が待っていた。
如月はすさまじい勢いで、膝蹴りを下から上に入れた。ノロマの顔面に如月の膝が激突した。
ボキン!
なにか固いものが折れた。ノロマの首が、生きている人間には、あり得ない角度で曲がった。
それまで、げらげら笑ってみていた店長の飯塚と部下の赤石も、さすがに顔の色を失った。ただのリンチなら、笑ってみていられたが、殺人ならば話は別である。警察ざたになってしまう。
そして、二人とも警察に関わられると、やっかいなことになる問題をいろいろと抱えていた。
しかし、彼らには幸運なことに、ノロマはまだ生きていた。意外と人間は死なないな、と赤石は思った。
「倒れるなッ! 誰が倒れて良いと言ったッ! こらあああああああッ!」
唇からよだれを垂らしながら、絶叫する如月。
ノロマはここで倒れたら、確実に息の根を止められると思い、必死の努力で踏み止まった。変な角度で傾いた首が、かたかた揺れていた。
どうしてこの人たちは、ノロマを急いで病院につれて行く、という発想がわかないのだろう。
「わかりまひた」
ノロマは答えた。声を出すたびに鼻から口の中に血が流れこみ、気管に入って死にそうになった。顔はザクロのように潰れていた。こんな御面相では、もう一生結婚はできまい。もしできたとしても相手は全盲の女性くらいだろう。
『エレファント・マン』のモデルとなった、プロテウス症候群のジョゼフ・メリックの生涯の夢は、目の見えない女性と結婚することだったと言う。しかし、ノロマは例えなんとか結婚できたとしても、もはや子供を作ることすら、できないのである。エレファント・マン以下である。
この数分間の間にノロマは『顔』『セックス』『子孫』という人生の内の、かなり大きな部分を失った。余生は2丁目でオカマとして生きるしかないのだ。
「店長、この際、このバカ、殺しちゃいましょう」
如月がぎょっとすることを言った。
「エッ?」
気が弱い雇われ店長の飯塚は、心臓が止まりそうになった。この飯塚、見た目はいかにも強面な五十過ぎのヤクザ風なのであるが、心は繊細な乙女なのである。
「そ……そこまでやるの?」
ガマガエルのように脂汗を流す飯塚。脂ぎっていて汚い。飯塚はリンチが犯罪事件になってきたので怖じ気付いていた。
しかし……。
ここで気が弱いところを見せると、部下に嘗められてしまうのではないか。
そうなっては、明日からはまともな仕事ができなくなるだろう……。
と飯塚は考えた。
ここでそんなことを考えること自体、気の弱い証拠なのであるが。
強がって飯塚はニヤリと笑ってみせた。
「そりゃあ、面白れぇなッ!」
「ありがとうございますッ! 許可を出してくださるのですねッ! おかげさまで心置きなく殺せますッ! では、命令通りに殺りますッ!」
小悪党、如月は、にこやかに言い放った。
飯塚は驚愕した。
エッ?
俺の責任になってしまうのッ?
如月の策略に嵌まってしまったッ!
それって、ずるくね?
このにやけた自信過剰のバカは、こういう卑怯な頭の良さがあるからいやなんだ。
飯塚は心の中では如月を嫌っていた。しかし如月は機転がきき、客に人気があったので、切るわけはいかなかったのだ。
おかげで今度は殺人示唆の罪を、かぶせられそうになっている。飯塚は思うようにならない己の人生を嘆き悲しんだ。


あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事