【怪奇小説】空手対幽霊〜カッター・ファック〜

〜カッター・ファック〜
男はふいに黙り動きを止めた。数十秒後にゆっくりと頭を上げ、緊張した面持ちで中空を睨む。
「ふう……」
突然、男の空気が変わった。なぜか男は改心したかのように、ため息をついた。今やっているすべての行為が、無意味なバカバカしい猿芝居だ、と気付いたかのように……。
頭の配線がすべて間違った箇所に接続されている、男のような人間でも、ふとしたはずみに配線が正しい位置に繋がる瞬間があるのかもしれない、と女は思った。言わば、でたらめにルービックキューブを動かしていたら、たまたま正しい位置にはまったようなもの……。女が期待して見ていると、男は天使のような邪気のない顔で微笑んだ。
「まったく、すみませんでした」
男は頭を下げ、あやまった。急に憑きものが落ちたかのようだった。男の行動は常に唐突で予想ができなかった。だから、それが良い方向に動いても、おかしくはない……。女の知能の低い目で見るかぎりは、信じられないことだが、男は心の底から反省をしているようだった。実はこの男は、ジキル博士とハイド氏のように、コロコロと性格が正反対に変わる病なのではないか……。二重人格と言う言葉が、女の脳裏に希望の蜃気楼のように浮かんだ。
男は力なく頭を振った。それから、自分がなにをしようとしていたのかを考え、呆れ返って、カッターナイフから刃を外した。
「あんぜーん」
もうボクは、危害のない生きものに生まれ変わったんですよ、と言わんばかりに男は、無邪気な顔で女の顔を見つめた。まだ、この世の邪悪さに触れていない、生まれたての赤ん坊のように、きれいな瞳だった……。
女はあぜんとして、口を開けたままだった。なにが起きているのか……。もっとも、顎を引き上げる筋肉がないため、口はずっと開いたままだったが。
もしかして、人間の理性に目覚めて、残虐行為を、止める気になったのかしら、と女は考えた。ほら、よく言うじゃない。連続殺人鬼というものは、実は常に誰かに止めてほしいと願っていると——むしろ、止めてほしいという信号を他者に発信するために、殺人行為を続けているのだと。彼らも心の弱い可哀想な人間たちの一人にすぎないのだ。女は一瞬、男の病気に同情さえした。しなくても良かった。
「うがああああああああッ!」
男は奇声を上げて、カッターナイフの刃のとんがっていない根元の方を、自分の硬くなっている男根の先、尿道の入り口に突き立てた。
「痛いッ! 信じられないほどッ、痛いッ!」
男は苦痛に悶え苦しんだ。
女はがく然として、性器から血を流す男を見ていた。希望が消え失せたというショックよりも、男の非人間じみた行動の驚きに、脳みそが麻痺した。改めて頭の配線が違うところに繋がっている人物なのだと感心した。
「痛くて興奮するッ!」
尿道口にカッターナイフの刃が、突き刺さってるにもかかわらず、男のペニスはさらに硬度を増していた。もしかして、少し変態なのかもしれない。男は苦痛のために涙を養老の滝のように流した。
それから、さらに刃を尿道の奥に押しこんだ。バカである。海綿体が陰茎の内部でふたつに裂けた。皮一枚を突き破って、刃が外に出れば男の性器は、アジの開きのようになってしまうことだろう。おしっこのように赤い血液が噴出した。汚れた埃だらけの木の床に、赤い花が点々と咲いた。耽美な眺めだ。
自分の流血に陶酔して、男はすっかり良い気持ちになっていた。ほろ酔い加減である。もし、夜の新宿で男にすれ違ったら、一杯やって良い気分なのね……と誤解されているところだろう。しかし、男が酔っているのはアルコールではなかった。それはアルコールより、ずっと気持ちいいものだった。
ところで、食べものは一人で食べるより、他人と一緒に食べる方がよりおいしいという。猿の時代に、群れで生活していた頃の本能が、今も残っているのだろうか。人間は他者と喜びを分かち合うことによって、より喜びが増幅されるように作られているのだ。
男は女に、このおいしい食べものを分け与えたい気分になった。あいにく、男の食べているものは、他人にはあまり食欲がわくものではなかったが。
しかし……。
男は思った。
これは愛だ……俺が与えるものは愛だ。
これは愛の食べものだ。
究極の愛の姿がこれだ。
俺は愛の伝道師なのだ。
男はカッターの刃が突き出した滑稽とも見えるペニスをゆらゆらさせ近付いて来た。女は嫌な予感がした。
まさか……。
そんな……。
「カッター・ファック!」
男は世界中のどの辞書を開いても出てこないような言葉を叫んで、女の身体の上に乗った。それから、股の間に切れ味鋭いペニスを突き立てた。もちろん、濡れていないし、そもそもこの穴に入るべきものではないので、入るわけはなかった。だが、男はこの見なれない性器を、本気で挿入しようとしていた。
「ぎゃあああああああッ! 痛いッ! 止めてッ! 助けてッ! 痛いッ! 痛いッ! ぎゃあッ! ぎゃあッ!」
女は苦痛に身をよじった。
男は、自分がこんなに気持ちが良いのに、女が見ようによっては、苦しそうに見えるのはなぜだろう……、というもっともな疑問を持った。
もしかして処女なのだろうか?
いや違う。
いやよ、いやよ、も好きのうち、ということだな。
本当は快感なのに、いやがっているふりをして、男の気を引こうとしているのだ。
淫らなことだ。
男は女の好きものぶりにあきれた。
「痛いッ! 痛いッ!」
傍目から見ると、単に女をぶっ殺している最中、と誤解されるかもしれないが、男にとってこれは純粋な愛の行為だった。ただし、問題が一つだけあった。愛するたびに女が死ななくてはならないのだ。なんというリスクの大きいセックスであろうかッ!
昔からそこが悩みだった。誰にでも性欲はある。普通の人がセックスをしたくなり、そこらの女を口説いても、うまくやれる可能性はかなり低い。しかし、この男の場合は、それどころではない。セックスと同時に殺さなければならないのであるッ!
もちろん、逮捕されずにだ……。
なんという人生の重荷を背負って生きている男であろう。これぞ、悲劇の主人公である。
男は配線が違っているだけで、バカではない。性欲が沸き上がるたびに、人を殺すのは不可能なことはわかっていた。だから男はダイエット中のデブのように常に飢えていた。
「痛いッ! 痛いッ!」
この十二時間でもっとも激しい苦痛が女子大生を襲った。
「痛いッ! 痛いッ!」
地獄だ。
「痛いッ! 痛いッ!」
生きながらにして、地獄の釜の中に女は投げこまれていた。女の煮付けだ。
「痛いッ! 痛いッ!」
人類の歴史の中で五本の指に入る苦痛だ。
「痛いッ! 痛いッ!」
これまで生きてきた二十年間で、経験したことのないほどの苦痛を、この十二時間で味わってきた。人生経験が豊富になった。しかし、寿命が残り少ないので役には立たない。
「痛いッ! 痛いッ!」
これ以上の苦しみはない……と思った次の瞬間、その苦痛がハムスターのヒゲで足の裏をくすぐられた程度にしか感じられないほどの、超弩級の苦痛が襲ってきた。
「痛いッ! 痛いッ!」
それの繰り返しが、この十二時間だった。
「痛いッ! 痛いッ!」
しかし、今回の苦痛は格別だった。
「痛いッ! 痛いッ!」
大リーグと日本の草野球ほどの違いがあった。
「痛いッ! 痛いッ!」
なにしろ、性器というものは、快感を得るために、もっとも鋭敏な神経が集中している箇所である。
「痛いッ! 痛いッ!」
痛くないわけがない。
「痛いッ! 痛いッ!」
そこにッ!
「痛いッ! 痛いッ!」
容赦ないッ!
「痛いッ! 痛いッ!」
カッター・ペニス!
ブボッ!
ブボッフ!
くぐもった嫌な音が、女の耳に聞こえてきた。例えるならば、バケツ一杯の挽肉の中に、金属バットを入れたり出したりするような音である。しかも、恐ろしいことに、その音は自分の股間から聞こえてきた。
ああ、神よッ!
カッター・ペニスは女の中に、根元まで挿入されていたッ!
だがッ!
ほんとに恐ろしいのはッ!
ここからであるッ!
これで、許されると思うなッ!
これでもか、これでもかッ!
カッター・ペニスは、本来の膣口の位置から五センチも離れた位置に、新たな入り口を作り、出入りしていたのであるッ!
穴の開いた肉人形どころではないッ!
余計な穴の開いた肉人形だったのであるッ!
「すごく気持ちが良いよッ!」
男は赤い顔で腰を犬のように振っていた。女は鼻と耳からも、汚い血を流しはじめた。苦痛のあまり神経の回路が焼けつき、脳から出血しはじめたのだ。
男が言った。
「俺にとって相思相愛はありえないッ! 女は愛はくれないがッ! 代わりに血を流してくれるッ! ヌルヌルとッ! よく滑りッそれは気持ち良いッ! 俺にとって愛と死は同義語であるッ!」
男の腰の動きに合わせ、愛し合うカップルのように女は悲鳴を上げた。
生理中にセックスをしたことは女もあるが、これは分量が違った。その何十倍も血が流れ出ていることは間違いなかった。
「きょッ……べらべらべらッぼッせッせッ! ぼッせッせッ! ぼんぼんせッせッ!」
女は白目を剥きながら言葉にならない言葉を叫んだ。正気を失っていた。生命を失う時も近いだろう。
「ううッ! 出るッ!」
男は女子大生の細い首に、手をかけて締め上げた。すぐに折れるかと思ったが、意外なほど女の骨は丈夫だった。しかし、そのために女の苦痛は長引くことになった。男にとっては、その方が良かった。長く快感を味わえるからだ。
女が生きものから、ただの肉のかたまりに変化する瞬間、大いなる快楽が男を襲った。
「出る出る出るッ! 出るッ! 出ちゃうんですッ! 精子がッ出ちゃうんですよッ! これ白子ですよッ! 白くて臭い精液がッ! 穴の中でッ! どろっと出ちゃうううううううんんんんんんッッッッッ!」
男はピンク映画のように、お色気たっぷりな言葉を喚きながら、痙攣を繰り返した。気持ち良さそうだった。
女も痙攣していた。こちらは、快感を得ているようには、あまり見えなかった。下半身のみになったカエルに電流を流したら、足がピクピク動くようなものだ。命を失っていることにかけては、カエルも女子大生もなんら違いはなかった。
男はあっさりと女の身体から離れた。これだけの多大な犠牲を払って、大放出したのだから、しばらくは余韻を味わっていてもいいものを……。しかし、男の顔は険しかった。苦悩に満ちていた。さんざん口説いて、ベッドをともにしたとたん、冷たくなる男がいるが、それに似ていなくもない。
「興奮してる時は良いのだが、終わってからカッターを抜く時が痛いんだよな……」
しごく、当たり前なことを男は言う。寂寥感が男の胸の中を襲った。
「この哀しみは、俺にしかわからない」
男はまったく満たされていなかった。なんという絶望的な人生だろう。男は覚悟を決めて、ずたずたに切れてソボロのようになった亀頭から、カッターナイフの刃を抜くことにした。
女の体液や自分の精液で指がすべり、なかなか抜けない。それでも、じりじりと引き抜く。冷たく濃度の濃い、嫌な臭いのする汗が、男の額から流れ落ちる。痛かった。脳内の血圧が下がり、気を失いそうになったが、ズボッという粘っこい音を立てて、刃が抜けた。
とろとろとろ。
ザーメンと血液の入り混じった薄い桃色の液体が栓を失って、ペニスの先から滴り落ちた。やがて、それは、真っ赤な血の色に変わった。パッキングの弛んだ水道の蛇口のように、いつまでもたらたらと流れ出た。男の足下に小さな水たまりができた。
このままでは、出血多量になるかと思い、男はペニスをつまんで、切れ目だらけになってるだろう尿道を塞いだ。出血は止まった。手を放すと、再びたらたらと流れ出した。男は憂鬱な気分になった。気が塞いできた。もう一度つまんだ。つまんだり放したりしているうちに、血液が凝固して止まるかと思ったが、いつまでも止まらなかった。
女の呪いか……。
自殺をしたくなった。
「痛い……。チンポが痛い……」
男は、こんな苦しみを与えた女を、強く憎んだ。
憎んでもッ、憎んでもッ、憎み足りぬッ!
鬼畜生めッ!
激怒した男は、床に転がる女に傷付けられた被害者のように、絶叫した。
「もはやッ、完全に苦痛もなくッ、のうのうと横たわっている肉の塊めッ! 俺はこんなに痛くて苦しいのだぞッ! そんなに俺を苦しめたいかッ! 最後に勝つのはいつも、お前だッ!」
女は答えなかった。しかし、頬の肉がなく歯が剥きだしになっているため、女の顔は笑っているようにも見えた。

あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事

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