【怪奇小説】空手対幽霊〜血の制裁〜

12月 23, 2023

〜血の制裁〜
その日の鉄玉郎の道場では、血の制裁が行われた。主に狙われたのは、門下生のメガネオタクで、自称ウェブ・クリエーターの田中康司だった。
顔に汚らしいぶつぶつがいっぱいある男だ。そのいくつかからは、いつも膿が吹き出していた。一度、その膿の穴の中から小さなウジが這い出てきたのを、鉄玉郎は見たことがあった。
痩せこけていて貧相。身長154センチメートル。体重は39キログラム。成人男性で体重が40キログラムを切る者は、あまりいない。
珍しい生き物だった。珍獣だったが、いつ絶滅してもまったくかまわない存在。言わば溜まり水に湧いたボウフラのようなもの、生ゴミに湧いたウジのようなもの。
田中は前歯が突き出ていた。今にもチューと鳴きそうだ。イタチやドブネズミを思い起こさせる、卑怯そうな生まれついての負け犬顔。常にまゆ毛を八の字に曲げて、おびえて生きている気の弱い男だった。
仕事は、個人で請け負って、企業向けのホームページを製作している、と糞虫のくせに偉そうに言っていたが、どうせニートに毛が生えた程度のものに違いない、と鉄玉郎は決めつけていた。事実、それは当たっていた。
「どうしてこんな弱虫野郎が生きていられるんだろうなあ……」
さも、軽蔑したような口で独り言を言いながら、鉄玉郎は田中を痛めつけ続けた。
鉄玉郎は田中が大っ嫌いだった。
鉄玉郎はホストの如月に対しても、心の底から軽蔑はしていたが、こういう人間のクズは、いつの時代でも社会の底辺にいるものだから仕方がない、と存在は認めてはいた。
しかし、田中については、この弱虫男が地球の空気を吸って生きていること自体、許しがたかったッ!
田中の人権を認めたくないッ!
百パーセントその存在を否定していた。この男がまだ生きているというだけで、いらいらしてたまらない。
田中は泣きそうな顔をしながら——いつもそんな顔だが——鉄玉郎のいたぶりに耐えていた。
「俺ならこんな意気地なしに生まれてしまったら、0.5秒で自殺するねッ! それが男の矜持ってもんだろッ? ああん違うか?」
鉄玉郎はつまんなさそうに右手の人さし指と中指を伸し、Vの形にして田中の両目を突いた。さりげない動作だったが、目玉をくり抜いて失明させるつもりだった。
田中はとっさに顔を背けたので、ほんの1.5センチの差で、一生、目が見えなくなってしまうことは避けられた。田中は鉄玉郎の指先で、両目のコンタクトレンズ——練習中はメガネを外していた——が、パリンと割れる感触を想像して、背筋に冷たいものが走った。
「い……いじめないでください」
目を潤ませて哀願する田中を見て、鉄玉郎は、内臓がいやな菌に犯されて腐ったような不快な気分になった。
いっそ、ひと思いに殺してやろう、と鉄玉郎は決心した。
こんなバカは、本人を含めて、この世のすべての人間が、生きている価値はないと思っていることだろう。それはまったく正しい。
しかし、田中のような糞には、神聖なる空手を使うのはもったいない。それは糞なりにちゃんと殺す価値がある人間だと、認めることになるからだ。
価値はないッ!
神に誓って、まったくないッ!
包丁でブッスリと、一差しにするのがいい。
鉄玉郎は殺害計画を練った。
まず、余計な断絶魔の絶叫を上げられないように、タオルで口を押さえる。どうせ殺すんだから、鼻も口もきっちり押さえてしまい、一グラムも呼吸させなくて良い。
次は、助骨の間をぬって包丁の刃を心臓に一突きだ。
はあはあ。
鉄玉郎は興奮し勃起してきた。チンチンの先がぬるぬるしているのが、自分でもわかった。
いや、むしろ時間をかけてゆっくりと刃を滑りこませて命を絶ってやろう……。
目を見つめるのだ。男同士、無言の会話をしてやるッ!
この男が生き物から、ただの物体に変わる瞬間の変化を、目の奥の表情の中に見たい。
いったい、どんな感情が湧くのだろう……。
あの世に飛び立つ瞬間は……。
生命が消える瞬間は……。
手の中で、このバカが、自分が今まさに死につつあることを悟り、ぴくぴくと細かく震える振動を肌に感じることができたら、さぞ、スカッとして爽快な気分になれるだろう。
うふふ、楽しみ楽しみ……などと妄想をしていたら、田中に脳天に手刀を叩きつけられた。
もんどり打って、倒れる鉄玉郎。脳天の人間の一番弱い部分にきれいに空手チョップが入ってしまったので、鼻から鮮血がぽたりぽたりと落ちはじめた。
鉄拳会館では、このように生きるか死ぬかという練習を、日常的にやっていた。主に殺すのは鉄玉郎で、死ぬのは門下生なのは、言わずもがなである。
おかげで門下生たちはかなり鍛えられていた。なにしろ、急いで強くならないと『練習中の事故』ということで、合法的にあっさり殺されてしまうのである。
命がかかった人間ほど、がんばるものはない。門下生たちは必死に練習した。鉄玉郎は頭の中はアレだが、空手の教師としては優秀な腕をもっていたのである。
木から落ちたイモムシのように鉄玉郎は、むっくりと起き上がった。実はこの起き上がる前こそが、田中が鉄玉郎にとどめを刺すチャンスだったのだが……。
それをできないのが、田中の弱いところだった。
まだ、非情さがたりない。
人間の心を持っているかぎり、強くはなれない。
鉄玉郎なら確実に、ここで殺していたところだ。それが鉄玉郎の日頃、教えてる空手だった。
ところで、それは空手のルールでは、反則ではないか?
と思う方がいるかもしれない。
ルール?
ちゃんちゃら、おかしいわいッ!
旗を持った審判員が、どこかから見ているとでも言うのかッ?
いないッ!
誰も見ていないなら、ルールなどはないのだ。
それが鉄玉郎の考える空手である。
『フルコンタクト』などという、甘っちょろい幼稚園のお遊技のようなものどころではない。『フル命のやり取り』とでも言うべきものであった。
「へえ、そんなに早く『練習中の事故』で死にたいと言うの?」
さりげない口調で、悪魔のようなことを言う鉄玉郎。
「ひいッ!」
田中は失禁した。両足の間を生暖かい液体が、流れ落ちてゆくのを止めることができない。見る見る間に股間に恥ずかしい染みがひろがって行った。
血相を変えて鉄玉郎が怒鳴った。
「あと三ヶ月くらいは、生かしておいてやろうと思っていたのだがッ!」
「うーん……!」
田中は今度はウンコを漏らした。空手着の肛門のあたりが、モコモコと膨らんだ。今度は茶色い染みがひろがった。大便の匂いが道場中にひろがる。横で、一人で練習していた如月が、それに気付き、ゲラゲラ笑い出した。
「いいっすねえッ! 鉄玉郎さんッ! 殺っちまいましょうッ! 俺が『また』事故だったと証言しますからッ!」
と本当に嬉しそうに言う如月。このホスト男の魂、どこまで腐っておるのか。
今度こそ殺そう。
鉄玉郎は両足を前後に大きく開き、後ろ足の膝を思い切り伸ばす。一切の手加減をしない正拳の突きで、田中の顔面を直撃し頭蓋骨を粉砕してやろうと動きはじめた瞬間、さっきやって来た悪徳刑事の顔が脳裏に浮かんだ。
いかんッ!
ここでもう一人殺したら、豚に餌をやるようなものだッ!
鉄玉郎は、青田という刑事が、ぶひぶひ鳴きながらうれしそうに、自分を取り調べている姿が、頭に浮かび、ためらった。
その隙を突いて、田中の前蹴りが鉄玉郎の腹の肉にめりこんだッ!
どうと倒れる鉄玉郎。
田中は今こそが、とどめを刺すチャンスであるという、鉄玉郎の日頃の教えを思い出し、殺す決心をした。なぜならば『師範代の起き上がった時が、自分の命がなくなる時』ということが、わかったからである。
意を決した田中が、全体重を踵にかけて、倒れてる鉄玉郎の首の骨をへし折ろうとした瞬間……。
「上達したなッ! 今日はここまでッ!」
鉄玉郎が唐突に明るい声で言った。田中はあっけにとられたが、今日も命を取られなかったことと、他人の命を取ることもせずにすんだことを神に感謝して——田中は韓国系新興宗教の信者だった——頭を下げた。空手は礼に始まり礼に終わる。
「うっすッ!」
その瞬間を待っていた鉄玉郎の踵が、宙を舞い、田中の後頭部に激突した。
「甘いな……。武道家は二十四時間、臨戦体制でなくてはならんッ!」
だが、床に倒れた田中は、そのありがたい教えを聞くことはできなかった。脊髄の神経が損傷したのか、身体が冷凍マグロのようにピンと伸びて、硬直してしまっていた。目は見開いてはいたが、もう、なにも見ていなかった。如月は、死にかけて転がってる田中を見て、爆笑した。


あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事