【怪奇小説】空手対幽霊〜ミッドナイト・フルート作戦〜

12月 23, 2023

〜ミッドナイト・フルート作戦〜
もうすぐ、トンカツの最後の一口を食い終わろうとした時、部屋のドアをノックする音がした。時間は夜の12時25分。こんな時間に——いや、こんな時間じゃなくても、堀江の臭いアパートにやって来ようなどという者はムショ帰りの新聞拡張員、反戦平和のためにハンケチを買ってくれませんかというボランティアを装った新興宗教信者、何年も納めていない国民健康保険の取り立て人、NHK、宅配便、巡回連絡簿を記入させに来る武蔵野警察署地域課の腐れ制服警官——界隈の家をすべて回っているんですが、と口先では言うが、俺を怪んで俺の家にだけ来ていることはお見通しだッ! 二本足の犬めッ! 公安めッ! ——しかいない。そこで部屋の明かりはついているのだが、堀江は居留守を使うことにした。
「脳ある豚は爪を隠す。ぶひっ」
堀江は満足げに、ニヤリと笑った。しかしノックは執拗に続いた。玄関ブザーはあるのだが鳴らさない。不審な気がしてきたので、堀江はインターホンに出た。
「誰ですか」
トンカツの最後の余韻をじゃまされて堀江は不機嫌だった。口の中には噛み切れないロースの筋が残っていて、くちゃくちゃと噛んでいた。堀江は日頃からこの筋の存在を感謝していた。おかげでより長い時間ロースの風味を口の中で味合うことができる。ああ、偉大なる肉の筋よ……。
「すーはー。すーはー」
堀江がロースの筋について哲学的な考察をしていると、スピーカーの向こうから深い息の音が聞こえてきた。
なんだこりゃ。
堀江がドアスコープから外を覗いて見ると、そこに立っていたのは昨年の年末、2006年12月26日午後11時45分にこの部屋でパンツを脱いでペニスの挿入寸前まで行った、堀江の生涯最良のオナニーのオカズ、ウンコのついている女だった。
急に期待が堀江の何重にも重なった脂肪と赤身の層の奥深くにある胸の中で高まった。急いで合板製の安っぽくて薄いドアを開ける。女はだいぶ酔っぱらっているようだ。息が酒臭くニヤニヤ笑っている。今日はウンコはついてなさそうだ。
もちろんッ!
ウンコがついていようとッ!
まったく、かまわないのだがッ!
「堀江君、今日泊まってっていい? 吉祥寺で飲み会があって終電を逃してしまったの。中野までタクシーで帰ろうと思ったけど、堀江君の家が近くにあるのを思い出して」
「もちろんッ! いいですよッ! 野川さん」
ウンコ女は野川裕恵という名前だった。鴨が葱をしょってやってきたというか…、据え膳を差し出されたというか…、ダッチワイフがペペ・ローションを持ってやってきたというか…、そういうおいしい体験のない堀江はどう行動したらいいか、わからなかった。
「トンカツでも食べますか」
堀江はとりあえず自分の得意なジャンルのことを話しかけた。夜更けに訪問して来た妙齢の女性に最初に話しかけるにしては異色な言葉である。堀江の冷蔵庫には非常用に冷凍食品のトンカツが常備されていた。もちろん、食べるためならスーパーの偉大なる揚げ立てのトンカツの方がうまいが——西友の地下食品売り場のトンカツに祝福あれッ!
「いらない」
ニベもなく女は断った。ニベとはスズキ目スズキ亜目ニベ科ニベ属の魚、ニベのことである。
堀江はとりあえず続いて「風呂に入る?」と聞いてみた。裕恵は無視した。泥酔して口を開くのが億劫なのと、デブの人権を認めていないからだ。たぶん、堀江を始発まで寝るのにちょうど良い部屋に付属している、臭い豚人形くらいに思っているのだろう。いつものことだ。
堀江は太く短い指で敷きっぱなしになっている布団を指した。
「お疲れのようですね。どうぞ、お布団に入って寝て下さい」
と言った。
先ほど耳掻き一杯分の精子を放出した不潔な場所である。堀江はここでコロモジラミ、トコジラミ、ヒゼンダニ、ニキビダニ、イエダニ、ツツガムシ、ヒトノミ、ネコノミといった小さな彼女たちと同棲生活を送っていた。
これも断られた。ちょっと堀江の期待に影が射した。
ここですんなり布団に入るようなら、この前の続きができそうだったのだが。しかし、今、無理に押すと『この部屋に泊まるとタクシー代がかからず身体も楽』という点より『臭いデブがうざい』の方が勝ってしまい帰ってしまうかもしれない。
あり得る話だ。
恐ろしい……。
そんな結果になってしまう可能性を想像して堀江は背筋が凍りついた。
断じてそれだけは、避けなくはならない。まず、肝心なのは裕恵に部屋に泊まらせることだ。
すべての道がローマに続くごとく、すべての可能性はそこから始まるのだッ!
前に裕恵が泊まった時は、朝になり始発が動きだす時間になってから一人で帰って行った。堀江は駅まで送ろうと言ったのだが、断られたのだ。こんなデブ人間と歩いていて、その友だちと思われてしまうほど、この世に不名誉なことはないからであろう。もっともな話だ。
しかし、重大なポイントは、これで『堀江の部屋に泊った』という前例ができたことだ。一度あることは、二度あったのだ。朝まで五時間。なにがあってもおかしくはない。堀江は期待に股間のチンチン——親指サイズ——を膨らませた。
裕恵は服を着たまま、古畳の上で背中を向けて横になっていた。堀江は脂肪で霜降りになっている、動きの鈍い脳みそで、必死に考えた。服を着たままだと寝にくいですよ、と話しかけるのはどうだろうか。
裕恵がなるほどその通りですね、といやがらないようなら、上着とジーンズを脱がすのを手伝ってやろう。こんなに酔っているならば、脱いだ結果どうなるか、あまり理解できないのではないか。堀江はその脱がした姿を想像した。
ブラジャーとパンツだけで横たわる女……。
堀江は想像だけで射精しそうになったッ!
危ない危ない。
もし、運命のアミダクジの迷路上で、万が一、正しい方向、正しい方向に、曲り角で曲がるようなことが起きれば、なんらかの形で裕恵の身体を使い射精できるかもしれない。女には穴がたくさんある。しかも手もあり、足もあり、舌もある。仮に触れなくても、裸を見ながらオカズにするだけでも、天国のような体験であるッ!
いや、服を着たままでも、目の前の生の女をオカズにできるなら最高最良であるッ!
こりゃあ耐えられんッ!
その万が一のために、精液を溜めておかなくては……。
尋常ならざる体脂肪の量のため、ほんのわずかな精力しかない自分の身体を堀江は激しく呪った。
どうして五回射精とか十回射精とかができないのだッ!
性欲だけは強いのにッ!
しかも、さきほど一回出してしまっていたッ!
なんと言うことだッ!
ああッ、神よッ!
我に幸運とお力(精力)をお与えくださいッ!
堀江は生まれて初めて神に祈った。
慎重にやらなくては……。
堀江は今はしつこく出ないことにした。女友だちなんて、いつでも勝手に泊まりに来ていて、むしろ迷惑だなあ……と思ってるくらいの雰囲気をかもし出すべきではないか、と思った。そう思われるわけがないと思うのだが、やはりデブだから知能が低いのである。
少しほっておこう。
そう決めて、堀江はとりあえず、お膳の上で散らかっている食器を片付けることにした。ソースとカツの油、キャベツの砕片で汚れた平皿と、茶わん、お箸をゴキブリとチョウバエに満ちあふれた台所に運び水に漬けた。
何日かすると、この水の中で糸状菌、ウイルスなどの微生物が繁殖してコロニーを形成し、ヌルヌルと糸を引くようになる。それを食べると腹を壊すので注意が必要だ。
それから、トンカツの好きな豚男は、風呂場に入りシャワーを浴びた。今日の豚は養豚場の豚のように清潔だ——豚が本来は清潔好きな動物であることはよく知られている。チンチンの皮を剥き、特に傘の裏側を良く洗った。一億円もらっても、誰も触りたがらない睾丸の袋も綿密に洗った。
堀江の玉はサクランボくらいの大きさだった。袋自体小さく、いつも玉ごと体内に収まっていた。外部に出るのは、お風呂で温まった時くらいだ。これは停留精巣と呼ばれる症状で、体内では精巣が常に高い温度にさらされ正常な精子を生産するできず、アンドロゲン分泌機能も阻止される傾向になる。これが堀江の精力が弱い原因の一つなのだが、本人は一生気づかないまま人生を終えることになる。
堀江は自分の腹がじゃまで、ペニスを見ることができない。いつもブラインドタッチで洗う。今日は皮の裏、筋の襞まで執拗にきれいにした。きれいにしても豚だから臭いのだが。
もしかして、今日、これを使うことがあるかも知れない……。
それを考えると堀江は興奮で脱糞しそうになった。
冗談のように書いてあるが、本当に子供の頃から堀江は興奮するとウンコを漏らす癖があったのだ。おかげでいつもウンコ臭かった——しかもそれを同級生たちに知られていた。小学生くらい、情けや同情心、人の心の痛みを知らない人間はいない。
だから、堀江は格好の餌食だった。彼らは昼休み時間になると、堀江を取り囲んだ。そして『ウンコッ!』『臭いウンコ垂れッ!』『デブ・ウンコッ!』と囃し立てた。
すると、もちろん堀江は泣いて興奮してウンコを漏らした。決まったスイッチを押すとウンコを垂らす機械仕掛けのウンコ箱のようなものである。
はっはっはっ!
午後の授業が始まり先生が来てウンコを漏らして泣いている堀江を発見する。教師というものは、そのトラブルが起きた原因を解明しようとは決してしないものなので、目の前にあるウンコを漏らしてケツのまわりを茶色い汁で染めている堀江だけを、厳しく叱りつける——ああ神様、それが小学校六年間に渡り、毎日続いていたのです。
ウンコを漏らして泣きながら、堀江はその人生で唯一の幸せと快楽である肉を、貪るように食い続け、当然の結果、このような体重106キログラムの無能かつインポの豚二十九歳ができあがったのである。
堀江はチンチンを洗いながら作戦を練った。名付けて『ミッドナイト・フルート作戦』。偉大なる計画である。
今日の目標はフェラチオであるッ!
裕恵にチンチンをくわえさせることができたら百点としようッ!
素晴らしい満点だッ!
しかし、正直そこまでもっていくのは難しいかも知れない。
なぜならば、俺は太った豚で醜く臭いからだ。
俺を愛する女なんてこの世にはいない。
その点は冷静に判断していた。それを悲しみ嘆くのは止めていた。なにをやっても、豚は豚より良いものにはなれはしないからだ。豚であり続ける困難と苦渋と悲惨に満ちた青春時代を送ることによって堀江は成長していた。豚は人間を成長させる。人間は偉大だ。偉大でも豚だが。大切なのは、今自分の手元にあるカードを冷静に判断して、最高の手を出すことだ。
豚は豚なりに努力しますッ!
堀江は心の中で絶叫した。
ウンコを少し漏らした。
ウンコをシャワーのぬるま湯で洗い流しながら——浴室中に糞の臭いが充満した——堀江はせめて乳揉みくらいはしたいと思った。
乳揉みッ!
乳揉みッ!
オッパイを揉み揉みッ!
これがどれほど重大なものであるか理解するには、あなたが二十九歳で体重が106キログラムでウンコをすぐ漏らす童貞である必要がある。
わからないなら、理解をしようとするなッ!
死ねッ!
今すぐ、手首をオルファのカッターナイフで十字に切って死ねッ!
乳揉みで七十点。堀江はそこまで作戦を敢行できることを心から願った。堀江は風呂を出て身体を拭いた。バスタオルは堀江にしては珍しく洗濯したばかりだったが、たちまち豚のような臭いが染みついた。ロヂャーズで買った五百円のトランクスと三百円のランニングシャツを着る。デブといえばランニング。


あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事