【怪奇小説】空手対幽霊〜気持ちの良い寄生虫〜

12月 23, 2023

〜気持ちの良い寄生虫〜
裕恵は背中を向けて床に寝ていた。いびきは聞こえないので、寝たふりをしているだけ——豚と関わりたくはないので——かも知れないが、よくわからなかった。
ここでなにか気のきいた声をかけないとならない気がする。
しかし、堀江はなにも思いつかなかった。いつもこうだ。俺はうまく振る舞えない。この調子で二十九年間、なにもできないまま生きてきたのだ。もう一度考えたがやはり思いつかないので、パンツの上からチンコを握った。握っても、もちろん、なんの解決にもならないことは、二十九年の人生で、よくわかっていた。
とりあえず、一人で湿気った布団に入った。布団は男の汗で臭かった。真夏の豚男汁。確かに、頭の正常な女の子なら、こんな布団には、とても入る気にならないに違いない。洗っておけば良かった。しかし手後れである。
どうやったらここからエッチに持ちこめるのだろう?
堀江は大いに悩んだ。童貞なので、参考にできる過去の体験が、なにもないのである。悩みながら、トランクスに手を入れて、無意識のうちにチンチンを引っぱり出していた。しばらくは、条件反射でチンチンをいじってから、自分がやってることに気づき、裕恵が見てないことを確認し、背中を向けてからチンチンを短い指でしごいてみた。
小さいなりに硬くなった。
よしッ!
これなら行けるぞッ!
どうもこの流れではうまく行かない気がするが、万が一、裕恵の穴の入り口にチンチンを押しつけられるような展開になったら、男らしくッ!
勇ましくッ!
カダルカナル島の十人のうち九人が死んでしまった日本兵のように突入してやるッ!
玉砕しても、かまうものかッ!
俺は勇ましく真っ白いイカ臭い桜の花びらを、女のピンク色の身体の上にドバーッと散らせてやるッ!
堀江は今夜こそ、昨年末の雪辱戦を遂行してやろうと決意した。しかし、問題はその戦いの火蓋をどうやって切ったらいいか、とんと見当もつかないことだった。苦悩する脂身。ミッドナイト・ロース。白い脂身は女の恥垢の味。夜はしんしんと更けて行った。
「うーん」
裕恵が唸った。それを聞いて堀江の心臓が、突然ドォォォォォォンと祭り囃子の大太鼓のように、重く低く体中に鳴り響いた。これだけ肉体が大きいと、心臓のポンプは血液を隅々まで補給するために、大忙しなのである。しかも、売れないコンビニエンス・ストアの名目だけの店長のような、過重労働をしいられている二十四時間営業の心臓は、たくさんの脂肪で周囲を包囲されており、性能があまりよろしくない。
普通のオナニーで射精をしても、その後は息が切れて、しばらく心臓がばくばく鳴っているのを聞くことになる。
ましてや、生身の女ッ!
生のヌルヌルした穴ッ!
本当にセックスをしてしまったら、どうなることか……。
堀江は心配になった。
デブなんだから、健康のために、セックスは控えめにすべきではないか、と理性では一瞬考えたのではあるが、もちろん女の濡れた穴を渇望し続けた二十九年間の人生が、そうはさせなかった。
俺の精巣の中で鞭毛を振って泳ぎ回っている一つ目の精子たちが、穴に入りたいッ!
穴に入りたいッ!
と泣き叫んでおるッ!
堀江は自分の身体が、本人の心ではなく、精液中の精子の意思で動かされてしまっていることに気付いて驚愕した。なんということだ。俺の股間で集団生活を営んでいる、一匹一匹がその小さな楕円状の頭にDNAを持つ別個の生命体が、俺よりも自分たちの将来を優先しようと、コントロールしているのだッ!
気持ちの良い寄生虫めッ!
ああッ、これが生殖という名の神秘の正体なのかッ!
俺は、このチビスケどもを無事に、女の穴の奥に運ぶために存在する、心臓で動く棒機械にすぎないのかッ?
棒機械はどうでもいいのだが、この膠着状態をどうにかしなくては、と堀江は考えた。
前回との違いはなんだろう?
堀江は検討を重ねて結論を引き出した。今回は女は酔っているものの、自分がシラフなのが問題だった。脂肪と肉の要塞の中に、たいへん繊細な神経を持っている堀江は、シラフでは女に手を出すなどという大それたことはとてもできなかったのである。酒を飲んでいないと、考えてるばかりで行動に移せない。問題点はこのように明解だった。一点の曇りもない。ならば、答えは一つしかない。
よしッ!
俺も酔ってしまおうッ!
自分の考えた答えの論理的な完璧さに堀江は酔いしれた。
酔いデブッ!
いい気になって踊るデブッ!
しかし、残念ながら部屋には酒がなかった。そこで堀江は、さらに作戦を練ることにした。『ミッドナイト・フルート作戦』には失敗は許されない。
そこで近くの二十四時間スーパーまで、ビールを買いに行こうと思った。良い考えだ。しかし、急にいなくなって酒を買いに行くという行動は、どうも、そこはかとなく不自然なのではないか、という気がしてきた。
堀江はその情景を、頭の中でシミュレーションしてみた。
『ちょっと酒を買ってくるよ』と堀江は言う。裕恵は背を向けたまま、答えなかった。寝ているのかもしれない。無視しているだけかもしれない。しかし、堀江はなにがなんでも、酒を買いに行く合理的な理由があることを裕恵に納得させてからではなくては、外に出られない気がしてならなかった。
『今日はビールの特売日で安いんだ。はっはっはっ』
悪くはないが、深夜に特売というのは変な気がする。
『俺はこう見えてもビール大好き人間でね。三度のトンカツよりビールが好きなんだ。意外で驚いたかい? はっはっはっ!』
どう見てもトンカツの方が好きにしか見えないから却下。
『毎日飲む適度なアルコールは、むしろ身体に良く長生きできる、とネットの《世界おもしろコネタニュース》でやっていたから買ってくるよ』
日常会話でいきなりネットニュースとか言い出したら、パソコンばかりやっているオタクと思われ印象が悪くなるのではないか。《世界おもしろコネタニュース》という単語も長過ぎる点が憂慮される。正確に言おうとして、吃ってしまうのが怖い。
『せせせせかひいや世界おもろろいやおもしろコニャッタいやコニータいやむしろコマッタコマッタだッ! ばかやろうー! 死ねえッ! ブスリッ!』
うわっ、刺し殺してしまったではないか。これはいかん! 堀江は途方にくれた。また、二十四時間スーパーに行ってる間に、裕恵がふと目を覚まし、すでに酔いが冷めていることに気付き、いくら酔っていたとはいえ、こんなデブの部屋の泊まろうなどと思った自分の行動を恥じて、急いでタクシーで帰ってしまうかも知れない。堀江はそうなった時の姿を想像してみた。
やる気まんまんで帰ってきた堀江。安普請のアパートのドアを開ける。
部屋の中は、からっぽだった。『ハレ』の日の特別な浮き足だった空気とは違う、いつもの日常の情景、生乾きの室内干しの洗濯物、ゴミ袋から匂う古くなった揚げ物の油の臭い、男臭い不潔な布団などから漂う、淀んだ倦怠感が堀江を打ちのめした。
空虚な部屋の中以上に、堀江の心の中はからっぽになった……。
悲しすぎるッ!
これはいかんッ!
断じていかんッ!
神に誓っていかんッ!
堀江は心の中で絶叫した。
声を出さず泣き喚いたッ!
勝手に空想して勝手に悲しんでいた。
「動けない」
いつものことだった。今日もくよくよと悩んで結果的にはなにも行動しないまま終わってしまうのだ。
まただッ!
まただッ!
いつもこれだッ!
俺の肥満人生ッ!
二十九年間ッ!
いつもこの繰り返しなのだッ!
いつまで、続くのだッ!
どうしていつも俺は俺なのだッ!
俺は俺でいたくないと思い続けてるにもかかわらず最後はかならず俺は俺であるゆえに俺が俺である呪縛から逃れないということをいやと言うほど味あわされるのだッ!
いやだッ!
もう、いやだッ!
俺は、俺自身がいやで、たまらないのだあッ!
堀江はぜい肉を震わせて静かに泣いた。しかし、膠着はあっさり破られた。
「布団に入っていい?」
ひと昔前の少年漫画なら、チュドーン!という擬音がして、背景に広島に落ちたのと同じ原子爆弾が、炸裂しているところである。数千人の全身の皮のべろべろ剥けた黒焼けの人間たちが、驚愕の表情を浮かべて、焼け野原をさまよっていた。背中を向けていた堀江が、驚いて身体の向きを変えると、裕恵はすでに布団の中に潜っていた。
ドドーン!
ドン!
ドン!
堀江の中の脂肪太鼓が、激しい乱れ打ちを始めた。


あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事