【怪奇小説】空手対幽霊〜空手地獄変〜

〜空手地獄変〜
「こりゃあ、気味悪い家っスねえッ! 鉄玉郎さんッ!」
愚か者が集団でやってきた。すっとんきょうな声を上げたのは、ホストクラブで働いている、源氏名が如月星夜という、髪の長い軽薄な男。おどけている。自分を『超面白いやつ』だと勘違いしてるのだ。
この男が本当にバカッ!
クズでゲスッ!
思い上がったウジムシ!
流しの配管の中を這いずり回る不潔なチョウバエ!
そのような最低なやつだった。如月は、歌舞伎町の三流ホストクラブ『江戸男』で働いていた。自称ナンバーワンホストらしい。
「チェーーーーーストーーーーーッ!」
ピンアンの型という空手の構えで、奇声を張り上げたのは、黒岩鉄玉郎。四十四歳。老眼気味。
鉄玉郎は武蔵野市で『鉄拳会館』という空手道場を開いていた。職業は歌舞伎二丁目のラーメン屋『上海亭』の雇われ店長。空手では食えないので、ラーメン屋をやっているのである。
『鉄拳会館』は、武蔵野市北町にある公共施設の集会場を借りて、練習道場にしていた。彼らは、そこで午前中の練習を済ませたあと、近所で有名な幽霊屋敷の探検に訪れたのである。
鉄玉郎は身長187センチメートルの大柄な男。足は水虫で臭い。頭の中はもちろんカラッポだ。その倫理観は、サハラ砂漠の中の水分量よりも乾いている。人類よりもサンゴやイソギンチャクに、その思考は近いであろう。
「男ならド根性を見せたれやッ、ボケカスがああああッ!」
前触れもなく身体を反転させ、横にぼさっと立っていた如月の腹に、中指の第二関節を突きだした拳を叩きこんだ。如月の口から、朝食べた麻婆豆腐セット七百八十円の唐辛子味噌の赤い汁、すり潰された豆腐、挽肉、ニンニク、タマネギのみじん切りが、噴水のように幻想的に吹きだす。実に美しい。ディズニー・ランドのようだ。身をくの字に曲げて苦しんでいた如月は、耐えきれず自分のゲロの中に、顔からダイビングした。
「ぐぼぐぼッ! げろッ! げろげろッ!」
ニンニク臭い赤いゲロの池の中で、悶絶する如月。良い気味である。鉄玉郎は、その如月の無防備なやわらかい腹に、全体重をかけて靴のカカトを踏み下ろした。殺す気だ。
グチャッ!
腐った生ゴミの袋を踏みつぶしたら、中に入っていたトリガラが砕けたというような、なにか生理的にいやな音がした。
グチャッ!
グチャッ!
踏みつぶすたびに、如月の口から赤いゲロが吐きだされた。
ビューッ。
ビューッ。
それは天に向かってツバを吐きかけたごとく、自分の頭に降り注いだ。ユーモラスである。すっぱい吐瀉物の臭いがあたりに漂った。吸血鬼ならば、その中に血の臭いも混じっていることに、気がついたに違いない。
「真の空手家ならばッ! どんなものでもッ! 恐れるなッ!」
白目をひん剥いて吠える鉄玉郎。
「恐怖心こそが、我らの最大の敵なりッ!」
鉄玉郎の口の端から、蟹のような泡が吹きだし、空中にふわふわ浮かんだ。
それを聞いて、中華料理を食って吐いた——というより、自らが麻婆豆腐の一部になってしまった如月が、すっくと立ち上がった。
「オスッ! まったくその通りでありますッ! 鉄玉郎さんッ!」
不動立ちの構えで屠殺場の豚のように叫ぶ如月。コブシを握り、両足をやや開き、腰を落としている。低く安定した重心である。白い服には、べったりとゲロがこびりつき、悪臭がした。つまり、酸っぱい空手家である。薄いベージュ色のズボンの尻の部分には、華やかな赤い染みが、ひろがっていた。その染みは見ている間に、さらに面積を広げた。大腸のどこかが破れて、肛門から出血してるのだろう。
普通の人間ならば真っ青になり、大騒ぎで救急車を呼び、病院に駆けつけているところである。
ところが、彼らはヘラヘラと笑い、平気なようすである。なぜならば、彼らは空手家なのだ。常に生きるか死ぬかという極限の訓練を、生き延びている者たち。彼らにとって、内臓が破裂した程度の怪我は、『喉にサンマの小骨が刺さった』レベルのトラブルなのである。
「ぎゃはははッ」
彼らは笑いあった。おそらく、頭がバカなのだろう。フルコンタクト空手では、激しく頭を殴る。一回殴られるたびに、脳の細胞は三千個が死ぬといわれている。ゆえに彼らの脳細胞の数はとても少ない。そのためによく笑うのだ。
「ウスッ! 俺たちッ! 男っスからッ! 怖いもんッ、ありませんッ!」
と叫んだのはどう見ても男らしくない、メガネの糞オタク。名前は田中康司。神経質そうで頬がこけている。顔は吹き出物だらけ。常に膿と脂でぬるぬるしている。外見で人間を判断すべきではないが、この身長150センチメートルと少しのメガネの小男、いかにも卑怯で狡猾そうである。口の端がつねに、ひん曲がっている。心が腐っている証拠である。いくら、空手をやっていても、心の中までは鍛えられなかったのであろう。
「幽霊屋敷はいいけど、腹減ったあーッ!」
と頭の悪そうなことを叫んだのが、豚のようなデブ。
デブの名は堀江。堀江は、いやしい人間であった。バクバクといい気になって、肉ばかり食って太っておる。この頭のバカそうな台詞も、デブがこういうことを言ったら、剽軽で楽しいやつと思われるのではないか、と計算づくで言っているだけである。
一般にデブというと、つい見た目に騙され、おおらかで心優しい人間だと思ってしまいがちである。しかし、これこそがデブの戦略なのだ。略してデブ戦。神に誓って断言する。デブこそ、心の狭い人間が多い。これは優生学的に実証されている真実である。デブは邪悪だ。
なにしろ、デブというものは定番の被差別人種である。政治的にナイーブな事柄なので、具体的な事例を上げるのは避けるが、差別される側の人間の方にこそ、心の汚い人間が多いのは誰でも気が付いている事実である。もちろん、差別は良くない。人間は平等だ。しかし、生まれてから死ぬまで差別され続けていると、やはり世の中を見る目が歪んでくるのは、避けられないことではないか……。
堀江は非差別人種の典型だった。堀江は小学生の頃から『デブッ!』『臭いデブッ!』『醜いデブッ!』とバカにされ蔑さまれ見下され軽蔑され軽んじられあざ笑われ囃し立てられて生きてきた。デブの宿命である。差別する人間が悪いのではない。デブという障害を持って生まれた方が悪いのである。臭いからな。
そんな育ち方をして、真直ぐな心の人間に育つであろうか?
否ッ!
育つわけがありませんよね?
このように、デブの分厚い皮下脂肪層の内側には、醜くイジケきった狭量な心が隠されているのである。デブこそ全員屠殺場に送り、ハムにすべきである。
「怖くて、アソコが濡れちゃうーん」
甘えたような声で、媚びた台詞を言ったのが、鉄拳会館、ただ一人の女性の門下生、結衣。本名ではない。風俗店での源氏名が結衣なのだ。バスト98、ウエスト64、ヒップ98の頭の悪い女。この場合、ポイントは『ウエスト64』という数字である。ウエスト64という表示の女性がウエスト64であった、ためしがない。どういうわけか、昔から『ウエスト70』でも『ウエスト86』でも、『ウエスト64』と表記して良いとする業界慣例があるらしい。ただし、たまに『ウエスト70』という表記の女性も見受けられる。これなどは、ウエストが1メートルは越えていると思って間違いはない。長々と書いたが、話には関係ない。
結衣は、歌舞伎町のイメクラで働いていた。なぜ、こういう女性が空手をやろうとしたのかわけわからぬが、そのへんが頭の弱いゆえんであろう。黄金と黒色の末期のエイズ患者のような、水玉模様のタンクトップから、アンデスメロンのような乳の谷間がこぼれていた。
鉄玉郎が目を血走らせて、絶叫する。
「いいかッ! ウジ虫どもッ! これから恐怖心に打ち勝つための訓練を始めるッ! 恐怖とは気の迷いであるッ! 人間の知的生命体としての感性や尊厳を捨てッ! ただ動くだけのッ、四つ足の物体になり切るのだッ! 恐怖をまったく感じなくなった無神経な人間のみがッ! 最強の空手家になれるのであるッ!」
えらそうな暴言を吐きながら、一行を睨みつける鉄玉郎。口臭が臭かった。治療されていない虫歯があり、歯茎が化膿しているのだ。
門下生たちはワラしか詰まっていない頭で、鉄玉郎の戯れ言を神妙に聞いていた。その様子、まるで共産主義国の人民のよう。
口先では、偉そうなことを言っていたが、鉄玉郎はこの廃墟の前に来たとたん、実に嫌な気分に包まれていた。鉄玉郎は、繊細でも、霊感があるような魂の細い人間でもない。言わば、鉛の魂を持った男だ。
無神経の上に鈍感。
認めたくない人間もいるだろうが——世の中には真実を目の前にしても、自分の政治信条で曇った目でしかものを見られない人間が多い——残念ながら、これこそが現代社会における、最強のスポーツ選手の条件である。
いかに、無神経な人間になり切るか……。スポーツとは、その競争である。人間の魂、良心、善意、感受性、理性を限界まで削り取り、肉体を果てしなく肥大させていくのだ。これがスポーツというものの本質だ。汚らしい。オリンピックを見よ。
その出場する選手たちが、心優しいマザー・テレサのように見えることがあっただろうかッ?
否ッ!
断じてないともッ!
きゃつらは、むしろ冷血な連続殺人鬼、無慈悲な傭兵、金のためならなんでもする殺し屋に似ている。オリンピック選手と殺人鬼の精神構造は、ほぼ同じと言っても過言ではない。
かたや陽、かたや陰。
または、かたや金メダル、かたや死刑……。
違いは、たったそれだけである。夜道でオリンピック選手に会った時は気をつけた方が良い。
「まったくッ! その通りでありますッ! 鉄玉郎さんッ!」
門下生たちは鉄玉郎の肝試しの案に対し、賛成の意を表した。死んだ魚のような目で、鉄玉郎をうっとりと見つめる。
鉄玉郎はその様子を見て、いい気になるような愚かな人間ではなかった。……かといって彼らの愚かさをバカにするわけでも、また体育系らしいなあと微笑ましく思うわけでもなかった。興味がない。それだけのことだった。月謝さえ払ってくれれば良い。
鉄玉郎は、再びこの廃墟が感じさせるものについて考えていた。
恐怖はない、と鉄玉郎は思う。
だが、しかし……。
この嫌な感じはなんなのだ……。
恐怖とは鏡だ。そこには存在しない恐怖を、人間の虚弱な心が写しだし、存在しているかのように感じてしまうだけだ。
例えば幽霊スポットなどと言われる場所がよくある。あれは自称霊感人間などという精神病質のたぐいの負け犬どもが『ここが幽霊スポットか。確かになにかいるのを感じるわッ!』などと自分がさても他人とは違う選ばれた人間なのだ、という愚かなアピールをしたいがためにやって来て、繰り返しその場所に対し恐怖心を感じることによって、実際に《なにか》が存在するようになってしまった場所なのである。つまり、『幽霊』などというものは人間の心の働きにより、恐怖心が物質化した現象にすぎないのである。
なにも怖いものはない、と思えば良い。
すると恐怖は存在しなくなるのだ。
……とはいうもの。
鉄玉郎はレンガ塀に囲まれた廃墟を見上げる。二階建ての洋館。壁は重々しいコンクリート。枯れた蔦が絡まる。ありふれてはいるが、どこか忌わしい。この家のまわりだけ湿度が高い気がした。そんなバカな……。おそらく、地形的な現象なのだろう。そうに決まっている。梅雨はもう終わったはずなのに、ここだけはいつまでも梅雨が続いているような、うっとうしさだ。蒸し暑いはずなのに、背筋には冷たいものが走った。
ぶるッ!
無敵の空手家、鉄玉郎は、その四十四歳の人生で初めて恐怖心を覚えた。
「突撃ッ!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
大平洋戦争中のやけくそな突撃のように、彼らは南京錠と鎖で厳重に閉鎖されている門をよじ登り中に侵入した。法律上はこの段階で住居不法侵入である。腹のぜい肉のおかげで、もたもたと乗り越えられないでいた堀江は、鉄玉郎に尻を情け容赦なく蹴られ、元気よく顔面から庭に落ちた。
「行けえええええええええええええッ!」
「おんどりゃあああああああああああッ!」
身体の芯の内側から、にじみ出てこようとする恐怖を振り払って、彼らは威勢の良い大声を上げる。逆に言うならば、大声を上げるということは、そこに確固たる恐怖の存在を感じているのを認めたということである。ゆえに、人間の心の構造のため、恐怖はこの場所に実際に存在しはじめた。彼らの恐怖心が生命を与えたのだ。
恐怖の誕生……。
呼んだか……。
廃屋の奥の暗闇の中で、なにかが目を覚ました。

あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事


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ホラー漫画家、神田森莉の長編SF小説。

くまちゃんウィルス1

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