【怪奇小説】空手対幽霊〜兄さん、背中が燃えているぜ〜

〜兄さん、背中が燃えているぜ〜
男の姿は特に印象に残るものではなかった。一見、歌舞伎町によくいる酔客の一人にしか見えない。泥酔しているわけではなく、足取りはしっかりしている。もしこの男をまじまじと見たりする者がいたら、その人は少し不安な気持ちになることだろう。
なぜならば黒目ばかりに見える男の目——そんな人間がいるわけがない、人間ならばだが——の奥に、石炭の熾き火のようなものが、ブスブスといぶすように燃えているからだ。斧を持って暴れる狂人ならばわかりやすいが、この男は不安感を与えるだけだった。
さらに奇妙なのは男の体臭だ。枯葉のような臭い。雨の日の犬のような臭い。じめじめした裏庭の土のような臭い。
だが男全体には不潔感はない——道端に落ちているできたての嘔吐物や、回収し損ねられた夏の夜の生ゴミの臭いに溢れる街自身の方が、よほど不潔な感じを漂わせている。
石原慎太郎東京都知事と新宿区の中山弘子区長らが進める『歌舞伎町ルネッサンス』という新宿の浄化運動のせいで、まだ夜の十一時だというのに歌舞伎町のはずれの通りは閑古鳥が鳴いていた。歌舞伎町が二十四時間眠らない街と言われたのは、すでに過去の話。
『歌舞伎町ルネッサンス』は、大規模再開発と暴力団追放などを目的としたものであったが、現実には勢力の弱まっていた日本の暴力団の息の根を止め、中国系、南米系、ロシア系などの外国人勢力がより活動しやすい環境を、歌舞伎町に作り出しただけだった。
『歌舞伎町ルネッサンス』はピンク系の産業の代わりに《文化》で客を呼ぼうという主旨だったのだが、《文化》などというものを見にわざわざ歌舞伎町に来る人間がいるわけがなかったのである。
愚かな石原めッ!
勃起したチンコで障子を破るようなエロ小説を書くしか能のない金持ちのお坊っちゃまに、知事が勤まるはずがないことを、立派に証明したのである。
おかげで、雑居ビルの前に立つイメクラの客引きは、今日も商売上がったりだった。夏の夜の蒸し暑い空気に、首の蝶ネクタイが息苦しくてたまらなかった。
客引きは競馬のノミ屋に百三万円の借金があった。近日中に支払いをしなくてはならないのだが、この調子では転職を考えなくてはならない。最悪の場合、どこかに飛ぶしかないかもしれない。
客引きはそれを考え、しぶい顔をしていたが、その時、黒目がちな男が近付いてくるのが目にはいった。客引きは気を引き締め、満面に笑みを浮かべた。
行くぞ。
合法的に客引きができるのは店鋪前の数メートルの区間だけだ。昔ならば、滑らかに動き回る口と愛想としつこさを武器に、百五十メートルでもつきまとったものだが、今ではそんなことをすれば、すぐに新宿警察署に逮捕されてしまう。生きにくい時代になったものだ、と客引きは思いながら、黒目の男に話しかけた。
「おニイさん、若い子いるョ!」
寄ってきた客引きを見て、黒目の男はニヤリと好色な笑みを浮かべ、慣れた口調で言った。
「ホント? オバサンじゃないのォ?」
男は近くで見ると、ほんとに白目の部分がまったくないように見えたが、客引きは、そんなバカな……、と思い、歌舞伎町のネオンと夜の闇の暗さによる目の錯角のせいにした。そんな人間がいるわけはない。また、意外と、風俗遊びに慣れてるらしい男の態度を見て、これはいけるという手ごたえを感じた。
「ウソじゃないよ、二十歳だョ!」
「マルホンはあるの?」
と黒目ばかりの男。
客引きは男にニヤリと意味ありげに笑ってみせた。歌舞伎町の通りに店を構える店鋪型の風俗店では本番はない。しかし、客引きは進んで否定して客を去らせることはないと、否定も肯定もしなかった。ボッタクリ店にでも連れて行かれるなら話は別だが、こういう駆け引きも風俗の楽しみのうちだ。
「遊んで行くことにするよ」
男は黒目を光らせ言った。
客引きは、男の身体から一瞬枯葉のような奇妙な臭いを嗅いだが、すぐに顔中に本心からの笑みを浮かべた。
風呂好きな男ではないようだな。
でもいいぞ。
この調子だ。
順調に行けば借金を返せるぞ。
別に全部返すことはないんだ。
ノミ屋がとりあえず引き下がるだけ、ちびちび払えばいい。
そして残りの全財産で馬券を購入だ。
俺は男だッ!
一発勝負に出てやるッ!
今度こそ人生大逆転だッ!
へっへっへっ!
でかいのを一発、当てりゃあ借金なんて簡単に返せんだッ!
背中の燃えている客引きは、腰をバッタのように曲げ、おじぎをしながら叫んだ。
「一名様、ご案内ッ!」


あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事


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