【怪奇小説】空手対幽霊〜俺の名は死だ〜

〜俺の名は死だ〜
暗黒。
何十年も人の住んでいない郊外の呪われた廃墟のドアの影で、悪意と憎しみの塊である未知なる生命体は生きていた。
持ってる感情は、どす黒い怒りのみ。タンパク質もDNAもRNAも持っていないが、それは確かに存在していた。
今では人間時代のことを思い出すことは、あまりない——かつての女子大生としての日々や家族、父、母、歳の離れた弟のことなど——すべては霧の中のように、ぼんやりと遠くなってしまった。
自分をこういう存在にさせた、殺人事件の記憶さえも薄れつつあった。あれは人間的な出来事であったからだ。同じ理由で殺害犯本人に対する憎しみも、既にあまり持っていなかった。
『それ』は純粋な悪意の塊だった。時々、元女子大生のそれは、自分という個以外の存在も、自分の中に感じることがあった。彼女は——もはや、性別は無意味だが——この世の悪意の集合体になりつつあったのだ。
人間たちが彼女のような存在を恐怖することによって、それは更に巨大化し強力な力を持つようになった。言わば、超幽霊とでも言うべき、存在であろうか……。
『それ』は今、怒りに喘いで震えていた。歌舞伎町では日本一死者の出るラーメン屋、武蔵野市では世界一練習中の不幸な事故死が多発する空手道場をやってる男、黒岩鉄玉郎——『それ』は、この男を大いに憎んでいた。
深夜四時『それ』は鉄玉郎の心の扉をノックした。鉄玉郎の心の扉は、ぬるぬるして少しチンポ臭かった。
「うおおおおおおお……」
鉄玉郎は脂汗を流し、うめき声をあげた。夏の終わり。残暑がまだ厳しかった。十二年前に買ってから一度も洗濯をしてない羊毛布団——布団は洗うものだという発想がなかったのである——の中で、鉄玉郎は胎児のように丸まっていた。
しかも、この鉄のような神経の男には、まったく似合わぬ人間的な生理現象——涙をナイヤガラの滝のように流していた。まるで、人間のようではないかッ!
「ひいいいいいいい……」
弱々しく泣き声をあげる鉄玉郎。肩を震わせ、おびえていた。
鉄玉郎は悪夢を見ていた。
夢の中……。
あの廃墟に鉄玉郎はいた。七月の半ばに、門下生たちと魂を鍛えるためという理由で、侵入した廃墟だ。鉄玉郎はレイプされていた。
無力。
今の鉄玉郎の状態を一言で言い表わすと、それだった。
なぜならば、抵抗しようにも、両手両足の骨がすでにへし折られていたからである。顔の見えない相手の男が、鉄玉郎の手足を順番にへし折ったのだ。
本当に痛かった。
骨伝導で自分の骨が折れる音を、何度も聞いた体験がある者はいるだろうか。鉄玉郎は、その体験者だった。それはあまり快適とは言い難い音だった。
こんな状態にもかかわらず、鉄玉郎は容赦ない相手の責めに少しでも抗おうとしてみた。しかし、そのたびに折れた骨の鋭角的な先っぽが、自分の柔らかい肉に刺さり、さらなる痛みを感じた。
ああ、それはとてつもなく痛いともッ!
こんな痛みを自分が味わうようになるとは、鉄玉郎は想像もしなかった。彼は常に痛みを与える側だったのである。常に人生の強者。弱味はなかった。およそ、人間とは言い難い精神構造の持ち主だったからである。
俺の名前を言ってみろ。
俺の名は死だ。
死に神も顔負けの鉄玉郎だったが、鉄玉郎は今、正常位で犯されていた。ホモではなかったが、ペニスで肛門を貫かれたら、どんな気持ちがするだろうと、考えることは良くあった。
しかし、これはまったく気持ちが良くなかった。なぜならば、相手の男は性器の代わりに巨大なナイフで貫いてきたからだ。常識的に考えても気持ち良いわけがない——ただし、異常で極端なマゾヒストなら、快感を味わったかも知れない。
自分が殺されて食べられることを空想して、オナニーに耽る変態もいるからである。残念ながら、鉄玉郎は食べられても少しもうれしくはないタイプだった。
男が腰を動かすたびに、激痛が尻に走り悲鳴を上げた。
壊れたサイレンのように、泣き声をあげ続けた。東京大空襲の時もこんな音がしたのだろうか。
苦しみの涙が流れる。鉄玉郎は、恥も外聞も捨て——それどころか、男のプライドも人間の尊厳さえも捨てて、男に泣いて許しを請うた。
哺乳類を止めるから、もう許してくだちゃい——と上目づかいに媚びた笑みを浮かべ、ないしっぽを振り機嫌を取った。そのたびに、相手の男はさらに、より痛いように腰を叩きつけて返答に代えた。
次に、鉄玉郎は四つん這いにされた。その屈辱的な体位で、後ろから金属の刃——鋭く薄い——で、尻のあたりをレイプされた。たぶん、いろんな穴や裂け目がたくさんできて、どれがどの穴だか、誰にもわからない状態になっているだろう。
あまりの暴力の嵐に遭遇して、鉄玉郎は無気力になった。薄ぼんやりとした頭を下げ、貫かれている自分の恥部を覗きこんだ。
股間から、太いものがぶらぶら揺れていた。俺のチンポは太くて長い。
次の瞬間、窓の隙間から、月明かりが射し、自分の逸物と思われていたものを照らし出した。
それは下腹部から飛び出した大腸だった。
いやなものを見てしまった驚きから、鉄玉郎の下腹に力が入った。その圧力を受けて、大腸の切り口から、大便になりかけの消化物が、どばどばと溢れ出たッ!
ウンコ・ソース!
それが臭いのなんの……。
鉄玉郎は悪臭のあまりゲロを吐いた。上下から嘔吐である。ゲロは口を閉じていたにもかかわらず、なぜか頬のあたりから溢れ出た。床に流動物がどぽどぽと落ちてたまった。
変だな、と思った。
ちょうど、顔の近くに割れた鏡が落ちていた。自分の顔を見た。頬の肉がえぐり取られて、なくなっていた。それは、まるで、笑っているかのように見えた。
鉄玉郎は絶叫した。
暗闇の中、原生動物のように蠕動していた元女子大生の『それ』は、大いなる喜びを覚えていた。
傲慢な男に自分が受けたのと同じ苦しみを味合わせてやった。
だが、まだ満足したわけではなかった。
もっと、苦しませなくては……。
無間地獄を彷徨うのだ。
あたしは大いに楽しんでやる。
あたしは飢えているのだ。
鉄玉郎は、自分の叫び声に驚き、自室の臭いシーツの上で目を覚ました。
もうじき、夏が終わると言うのに、連日の猛暑が続いていた。汗でびしょ濡れになっていた。
体中から、腐敗したバターのような臭いがする。
目からも滝のように汗が流れていた。鉄玉郎は不思議に思い、溢れる目頭に手をやり考えたが、やがて、この水が涙という現象であることに気がついて驚いた。
自分にもそんな人間じみた機能がちゃんとついていたのか……。
それから、今の夢の内容を、牛の口の中のゲロのように何度も反芻して楽しんだ。
「これが、あの幽霊屋敷の女ミイラの身の上に起こった出来事だったのだ……」
鉄玉郎は、夢のお告げを理解した。また、最近、身のまわりで起きていた不可解な一連の死は、この女ミイラの仕業であろうと言う結論にも達した。呪いの女ミイラである。
ふと、鉄玉郎は誰かに見られている気がした。
万年床から立ち上がって、窓のカーテンを閉めた。向かいは焼肉屋だった。早朝の武蔵野市。外に人の気配はなかった。
しかし、ますます誰かに見られている感覚は増した。
統合失調症だろうか。
鉄玉郎は心の病は持っていなかった。むしろ、精神があまりに健康過ぎる点が、現代人の基準からすると異常なくらいである。
散らかった部屋を見回した。掃除の苦手な四十四歳、独身男のありふれた部屋だった。
数日前に殺した猫の首が落ちていた。ウジが湧きはじめている。目玉はすでにえぐり取っていたので、こいつに見られているわけではないようだ。
枕元には、寝る前のオナニーで出たザーメンを拭いたティシュが落ちていた。それにアリが群がっていた。
この極めて古いマンションは建てつけが悪く、よくアリが侵入してくるのだ。しかし、このアリの視線でもないようだ。
じろじろ、凄みをきかせて睨んでみたが、睨み返してくるアリはいなかった。
「それにしても、俺は糖尿病なのだろうか?」
鉄玉郎は、オナニーの後に、自分の出した精液を飲んでみたら、もっと興奮するような気がして、たまに飲むことがあった。もちろん、自分の精子を飲んでも、さほど興奮はしない……、ということが再確認されるだけなのだが。
その精液が、最近とみに甘い気がするのだ。昔はエバミルクだったものが、近年はコンデンスミルクのような味に変わってきた。
糖尿疑惑は、さておいて、鉄玉郎は再び、さっき見た夢の内容に思いを馳せた。
夢の中で俺は……。
女として犯され……。
そして、殺されていた……。
鉄玉郎は、おぞましさのあまり肩を震わせた。
「……興奮する夢だったなあッ!」
鉄玉郎は、はち切れんばかりの笑顔で部屋の中で絶叫し、股間の逸物を握りしめた。物干竿のように突き立っていた。夢の中の興奮を忘れないうちにと、急いでトランクスから出して、いそいそとしごきはじめた。
なんとなく、自分を見つめる視線の先で、何者かがずっこけたような感じがしたが、たぶん気のせいであろう。
ぴゅっ!
どぴゅどぴゅ!
どろどろ!
早速、鉄玉郎は発射した。
異常に興奮していたので、ティッシュも使わず、布団の上にそのまま射精した。そうした方が、興奮するような気がしたのだが、もちろん出して見ると、そこには何ら興奮するような要素はなかった。
茎の先から、精液の残りとカウパー氏液が出て、ぬたぬたして気持ち悪かったが、かまわず二発目に取りかかった。今度は前より時間がかかった。


あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事


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