【怪奇小説】空手対幽霊〜子供の命はないぞ〜

12月 23, 2023

〜子供の命はないぞ〜
その時、部屋の入り口で、小さな悲鳴が聞こえた。
見ると、先ほどの昆虫採集の小学生が立っていた。
気味が悪い。
おそらく、中でがたがたやってるので、セックスでもしてるのかと、よだれを垂らして覗きに来たのだろう。
下劣なウジ虫である。
吐き気がする。
おそらく、脳みそは昆虫ほどのサイズしかないのではないだろうか。だが、子供だから、バカでも仕方があるまい。子供は大人に比べると、脳の大きさが半分くらいしかない。バカで当然なのであるッ!
やつらは百パーセント、生まれながらにして、知的障害者なのである。まったく、おぞましい話だ。
さて、ここらはけっこう上品な一軒家が続く閑静な住宅地なのであるが、中には押し入れのパンツに茸が生えていそうな古く汚らしい木造アパートも残念ながら存在する。
そういう家に生息する、貧乏人の不潔な子供の一人なのであろう……。
貧しい国、日本。
頭が悪そうで鼻水が垂れていた。栄養が足りていないのだ。雑草や生ゴミでも食べているのか……。
着ている中国製の シャツには、食べものをこぼしたらしい染みがついていた。精液の染みかも知れない。
ちゃんと税金を払っているまっとうな市民ならば、同席することを決して許そうとは思わない、不快な下層階級の人間である。
おそらく、パンツを脱がせ、肛門に鼻をつけて臭いを嗅いだら、糞便の臭いがするに違いない。
体格は小さく痩せこけている。まるで難民の子供のようだ。
親に愛されていないに違いない。なぜならば、こういう不潔な子供の親は、派遣社員や工員をやるしか能がない、給料の安い低学歴な人間だし、そういう人間は頭の成長が弱いので、必ず子供に暴力をふるうものだ。
遺伝的に欠陥があるのだ。劣等人種である。
こういう汚れた血筋の人間に限って、たくさん子供を作り、さらに世界の生活環境を悪くして行くのだ。
まさに負の悪循環である。
深刻で由々しき社会問題だ。
鉄玉郎は、次第にこのおびえた弱々しい子供が、地球の破滅をもたらす悪魔のように思えてきた。
正義の鉄拳を下すべきではないか?
「汚らしい、虫けらめ」
鉄玉郎は、不快感を隠さない軽蔑しきった顔で、子供を捕まえると、高々と持ち上げた。
「今すぐ、抵抗を止めないと、子供の命はないぞッ!」
信じがたいことを叫び、幽霊女子大生を恐喝する鉄玉郎。
それでも、人間かッ!
ほんの少しでも、暖かい血が流れているのかッ?
鉄玉郎は汚い子供を——生乾きの洗濯物の臭いがした——左右に乱暴に振り回した。子供は泣き叫んで暴れる。にたにた、残酷そうに笑う鉄玉郎。その姿まさに……悪鬼ッ!
信じられない鬼畜だわ……。
想像力の限界を超えている……。
女子大生怨霊は、目に見えてうろたえた。人間性などまったく、なくなってしまったはずの、悪意の塊である怨霊でさえ、唖然としてしまうほどの非道な鉄玉郎の行動であった。
反作用とでも、言うべきか……。なぜか、鉄玉郎の非人ぶりが明らかになるほど、霊魂女子大生は人間性を取り戻して行くように見えた。
皮肉な話である。
鉄玉郎があまりにも凶悪なので、怨霊でさえ、心優しく見えてしまうということか……。
元女子大生は、数十年ぶりに、自分の弟の存在を思い出していた。自分は霊魂となり時間の流れは止まってしまったが、弟は今では、もう良い大人のはずだ。
それを考えると、彼女は涙が出そうになった。
それは、すっかり忘れていた感情だった。弟は、断じて、このような貧困で小便臭い子供ではなかった。知的で優秀な学力の良家の子息で、コンピューターに夢中だった。
しかし、彼女は鉄玉郎の頭上で振り回されている不潔な子供——鉄玉郎は、今では子供の両足首を持ち、全力で振り回していた——が、まるで自分の弟のように見えてきた。
ああ、これは彼女の女性ホルモンのもたらす幻覚であろうか。
一部には異論があるかもしれないが、実際、子供はどれも同じである。小さくて似てるので、入れ替えても大した違いはない。
また、統計的に見ても、子供は死にやすくできている。
おそらく、これは神様が、子供が死んでも両親がすぐにその子のことを忘れ、次の子を出産しやすいように、子供に個性というものを与えなかったのであろう。まさに、神様の優しい知恵である。
ありがたいことだ。現実的で賢明なアイデアである。神様の言う通り、子供とは入れ替え可能なパーツなのだ。
「たすけてーっ!」
汚い子供が最後の力を振り絞って、心霊女子大生に助けを求めた。女子大生とは言っても、血まみれで透明なモンスターである。
そんな幽霊に助けを求めるとは、言わば鉄玉郎は幽霊よりひどい、と認定されたようなものである。
たいへんに名誉なことだ。
屠殺場でベーコンにされる寸前の豚のような声だったが、なぜか彼女は、さらに弟のように見えてきた……。動揺した血まみれの、全裸女子大生のたわわな乳房が、ゆっさゆっさと卑猥に揺れた……。
「わかったわ……」
どんな物理的な仕組みを使ったかわからないが、気体とわずかな微粉末だけで構成されている女子大生は、口をきいた。
声帯はないので、あまり人間的とは言えない恨みのこもった声だったが——その中に、女性的な優しさが感じられないこともなかった。
ミクロの女子大生粉末部隊の攻撃は一斉に止んだ。人体世界大戦は停戦になったのだ。
久しぶりに新鮮な酸素を吸う鉄玉郎。皮膚呼吸やえら呼吸ができるとはいえ、三十分近く、まともに息ができなかったのだ。人間だったら死んでいるところだ。
肺の中の女子大生の分子が、鉄玉郎が血液ガス交換をすることを許してくれたので、動脈の中にようやく酸素の含まれた血液が流れるようになった。
緑色の腐敗した脳細胞にも、酸素が行き渡り、鉄玉郎の視界で踊っていた黒い丸——拡大すると鎌を持った死に神のシルエットになる——が消えた。
鉄玉郎は全身に放射能を浴びた原子力発電所のように、元気を取り戻した。
良かった……。
この子にだけは死んでもらいたくない……。
子供を振り回すのを止めた鉄玉郎を見て、怨霊女子大生は安心した。彼女は、すっかり人間の心を取り戻した。一つのかけがえのない生命を救ったことにより、彼女の命もまた救われたのだ……。
再生。
リボーン。
二度と太陽が登ることなどない、と思われていた彼女の住む暗黒世界。その世界に、天の岩戸が開かれたように、再び、太陽が登り、美しい光が射しはじめた。
命は大切なもの。
今までになかった認識が、彼女の中に電光掲示板のように光り輝き現れた。それは憎しみだけで、構成されていた彼女の精神に電撃のような衝撃を与えた。痛みとともに、暖かい感情が甦る。
あたしは生きている……。
女子大生は思った。
そうだ……。
あたしの……。
名前は……。
飯野映理!
彼女は自分の心を取り戻した。
彼女の恨みのパワーに引かれて集まり、取り憑いていた、たくさんの悪霊が、バンシーのような悲鳴を上げながら逃げ去って行った。暖かな愛が、彼女の冷たい身体のうちに、満ちてきた。
その刹那。
ぐちゃッ!
鉄玉郎は持ってた子供を、全力で石の壁に叩きつけた。
その動きにまったく、ためらいはなかった。
頭から、もろ激突した子供は、悲鳴を上げもせず、床に生ゴミのように落ちた。もちろん、ぴくりとも動かない。痙攣すらしなかった。弛緩した肛門から、糞尿が溢れだして臭い。臭い子供がさらに臭くなったのだ。
時間の動きが停止したようだった。部屋の中の空気は凍りついていた。
「ぎょああああああああああああああああああああああああああああッ!」
人間とは思えない悲鳴を上げる死体女子大生……確かに人間ではないが。
「ああああああッ」
「あああああああああッ!」
「あああああああああああッ!」
顔を手で押さえ、壊れたレコードプレイヤーのように絶叫していた。空虚な部屋に、女の悲しい叫びがいつまでも反響する。
地獄を見てみたいか?
それならば、ここにある。
鉄玉郎は勃起していた。
極悪人のような行動ばかりしているように見えるが、それでも人の子——たまたま、居合わせただけの罪のない子供の命まで奪うつもりは、毛頭なかった。血も涙のない凶悪な怨霊女の行動を止めさせ、世界の平和を守ろうとしただけなのである。
ところが、子供の両足首を持って、扇風機のように振り回していたら……。
このまま、力の限り全力でッ!
まったくなんのためらいもなく、超高速でッ!
子供を壁に叩きつけたら……!
どんなにッ!
すかっとッ!
することかッ!
と、思いはじめてしまったのである。
もっともな話である。確かに、一見、非人情で冷酷な話のようには見える。しかし、少し考えてみれば、誰でも鉄玉郎の心の動きに納得ができるのではないか。
例えば、あなたがもの凄い高さの崖の上に立って、下を見下ろしてるとしよう。下には、火曜サスペンス劇場で、マネキンが飛びこむような、濁流のリアス式海岸がひろがっている。あなたは家に帰れば美しい妻と、かわいい子供がいる、幸せで保守的、現状に満足しきっている四十歳のお父さんだ。体位だって正常位しか使わない。誰でも、下には絶対に落ちたくないと思うであろう……。
ところが、そこが人間の心の不思議さであるッ!
心の奥底——得体の知れないあなたの腐り切った魂の沈殿物が、ふくふくとメタンガスを発酵させながら淀んでる一角では……。
このまま、飛び降りてしまえば——真夏の炎天下にダイエットじゃない方のコカコーラを飲んだ時のような、すかっと爽やかな気分になるのではないかッ!
という押さえきれない願望で、身も心もオナニーを始めんばかりに、情欲の嵐に翻弄されるに違いない。
それが、人間というものである。
お前、
あなた、
君、
あんた、
貴様、
俺、
私……。
全人類すべてがそういう心の動きをするように、太古の昔からDNAにプログラミングされているのだから、仕方がない。
または、あなたが、どういう訳か、超高級な国宝級の皿を手にしていたとする。その時価、数兆円ッ!
むしろ、金額的な価値よりも、その日本人の魂の源とでも言うべき、重要さに、あなたは恐れおののき、手の震えが止まらない。これを壊しでもしたら、確実に大暴動が起き、あなたを始め、家族親戚までが、人前で生きたまま手足を引きちぎられて処刑されるであろう。
そのような、バカらしい価値のある、お皿。
もちろん、何があっても、これを割ってはいけないと思うのは、当たり前のことである。ところが、そんな国宝級だからこそ、あなたの心には、悪魔が忍びこみ、耳元で小声で囁く。
これを床に叩きつけ、粉々にしたら、さぞやすっきりするだろうな……。
囁きは止まらない。
鼓膜に灼熱のハンダゴテを突っこんで鼓膜を焼き破っても、悪魔の声はいつまでも聞こえる。
もちろん、最後には実行してしまうのだ。
なんぴとも、逃れられない。
地獄がお前を待っているのだ。
鉄玉郎の心の中の動きは、これと同じようなものだった。鉄玉郎もこの子のように幼少期は貧しかったのだ。自分の命を守るため仕方がなく、心の中で掌を合わせ謝罪しながら、子供を盾に使った。
確かに劇的な効果はあった。
しかし、すぐにそんな下劣な行動をする自分に、嫌悪感でいっぱいになり、胸が苦しくて堪らなくなった。そこで、子供をやさしく床に降ろして、逃してあげようと思ったのだ。ところがである……。
悪魔は、どうして俺を見逃してくれないのだッ!
俺は悪くないッ!
邪悪なッ!
悪魔がッ!
俺にッ!
狂人のような行動をさせてッ!
止まないのだッ!
突如、むらむらと(この腐れガキを壁に激突させたいッ!)という感情が、嵐のように沸き上がってきたのだッ!
俺の頭の中が、ハリケーン!
はっと気がついた時には、豆腐のように柔らかい子供の頭が、石の壁にめりこんでいた。
もちろん、豆腐のようなものが、固いものにめりこむ訳がない。豆腐の方が、へっこんでいるのだ。
走馬灯のようにゆっくりと子供が床に落ちた。この瞬間、子供の心の中でも、走馬灯の上映会が行われていたに違いない。そう長くは生きていないのだから、ショートムービーだ。
無意識のうちに耳から豆腐が出ていないか探したが、出てはいなかった。
動きにくいな、と思ったら、性器がズボンの前を突き破らんばかりに、勃起していた。
鉄玉郎は日本人にしては、サイズが長かった。それが人生において得だったかどうかは、未だによくわからない。
欲望と歓喜で鉄玉郎の目の前が、白夜の南極大陸のように真っ白に光り輝き、なにも見えなくなった。
白い炎ッ!
冷たく、かつ、灼熱だッ!
燃えているッ!
俺の氷が、ばちばちと轟音を立てながら、炎上しているのだッ!
お前に、俺の魂の中の白熱が見えるかッ?
「ほんのちょっと脅そうと思っただけだったのに……」
鉄玉郎は動かない子供を見て、自信なさそうに呟いた。足の先で子供の身体を、突っついてみた。ぴくりとも動かない。
念のために、手の上を強く踏んでみた。踵の下で細い骨が折れる感触がしたが、子供は痛がらなかった。
だめだこりゃ。
呼吸の止まった子供を見た瞬間、鉄玉郎は(やってしまった……)という後悔の気持ちと同時に(やったあ……)という歓喜に満ちた気持ちが、沸き上がるのを感じた。
コーラを飲んだようにすっきりしたのだ。
女子大生の怨霊は、鉄玉郎の股間が硬く突き出ているのを見て、我が目を疑った……。
罪もない子供を殺しておいて……!
この男……!
欲情しているッ!
それはどこかで見た光景だった。この状況は体験したことがある……。それは、八十年代に、今いるこの部屋で、自分の身に起きたことに似ていた。
女子大生は、鉄玉郎の股間と、自分を犯して殺した男のカッターナイフでできた股間の区別がつかなくなっていた。
女子大生はおびえて、泣きはじめた。
恐怖。
女子大生は、あまりにも非人間的な怪物、鉄玉郎に恐怖を感じた。
どれほど恨みのこもった悪霊、怨霊よりも鉄玉郎は、狂っていたのだ。
聖なる狂気である。
イエス・キリストだって、あと三回くらい磔にされれば、鉄玉郎の域に達するのではないか。キリストちゃん(クリスチャン)も、がんばってもらいたい。
生きていない人間よりも、冷血な男、鉄玉郎ッ!
女子大生幽霊は、寒気を感じて、がたがたと震えはじめた。風邪を引いたのかも知れない……。そう思ってから、その異常さに気がついた。
幽霊が寒さを感じる訳がないではないか……。
彼女は錯乱した。
なにか、おかしいことが起きはじめていた。
鉄玉郎は怨霊女子大生の身体の変化を見逃さなかった。幽霊ということだけあって、クラゲのように透明なのだが、透明度が落ちてきたのだ。
まるで、真夏に大発生したエチゼンクラゲが、砂浜に漂着し日光を浴びて乾き、硬くなって行くように……。
鉄玉郎の歯槽膿漏で弱った歯茎などから出血した、不潔な霧状の鮮血を浴びて、若い女の肌はぬめぬめと淫らに光っていた。
鉄玉郎は、罪のない子供を惨殺した爽快感を一瞬で忘れ、すぐさま、中段の突きを女子大生のむちむちした乳房に入れた。
わずかな手応えがあった。
むにゅっとしたのである。
怨霊女子大生は、狼狽していた。
この男の突きが当たったッ!
気のせいではないッ!
幽霊を殴るですって?
そんな非科学的なことが、この世であり得るの?
そ、そんなバカな……。
不可能だ、不可能すぎる。
そんなこと、人間にできるはずがないッ!
確かに人間には、できるわけはない。だが、しかし、この異常な男、本当に人間だろうか?
しっぽが生えていても、おかしくはない。
少なくとも、人間の心を持っていないことは、確かである……幽霊より、非人間的なくらいだ。
このような奇人は、肉体も常識では考えられないほど、超自然的なのではないだろうか。
幽霊女子大生の水ようかんのような脳みそは、止まらない妄想で破裂しそうになっていた。
一部のヨーガの達人などは、精神の力で己の肉体を自由に変化させると言う。このような領域に、この男も達しているのではないか。
また、病は気からと人は言う。心の動きが肉体に変化を与えるのは、昔から知られている、科学的にも実証された事実である。
この男が、何度も当たる訳のない突きや蹴りを入れていたのは、理由があったのではないか。
私は愚かしいと笑って見ていたが、この男は、爬虫類や昆虫類(シデムシなど)にしかありえないような、百パーセントの自信を持って、技を繰り出していたのではないか。
そしてさらに、突きや蹴りを繰り返し放つほどに、自信は強固な確信に変わり、『当たらない方が、おかしいのだッ!』というような境地に達していたのではないか。
そのような心の動きにより、もともと白亜紀の原始生物に近い肉体を持っていた男に、物理的な変化が訪れたのではないだろうか。
人間よりも原始的なのだから、進化の速度も速いのだッ!
原始人めッ!
もはや、その思考は、科学的、論理的なものから、すっかり逸脱し、完全なる偏執狂のようになっていたが、女子大生は自らの頭の暴走を止めるすべを知らなかった。女子大生の幽霊は、身の毛がよだつような恐怖に支配されていたのである。
あたしは、この狂人に殴り殺されるッ!
という考えが、女子大生の頭を一瞬よぎった。一瞬だったが、そのとたん疑惑は確信に変わった。
彼女はこの怪人に自分が殴り殺されることが、事実としか考えられなくなったッ!
あな、恐ろしや、人間の思考の落とし穴。
幽霊と言えども、精神の動きの基本パターンは、人間と同じなのである。
そもそも、当たり前の話だが、霊なんてものはこの世には存在しないのである。ところが、感受性の強い霊感を持つ人間や、自称霊能者たちが——ほとんどの場合、単に頭のおかしいメンヘルである——『出る』という評判の場所に愚かにも出かけ、複数の人間が何度も繰り返し『ここは出る』と思いこむことによって、本当にそれが存在しはじめてしまうのであるッ!
これが霊現象の正体である。
簡単に言えば、バカと狂人の作り出した、外部への思考投影物質化現象なのである。
わかるだろうか?
私もよくわかりません。
この現象により、霊魂女子大生が、この廃墟の中で誕生したというのは、前の方で書いた通りである。
言わば、恨みがお母さん、恐怖がお父さんである。
悪の両親に育てられ、彼女はここまで強大に成長してしまったのである。
ところが、怨霊よりも邪悪な二本足の爬虫類、鉄玉郎に、彼女は恐怖心を抱いてしまった……。
さて、それはどういう現象を引き起こすのであろうか。
もともと幽霊などという殴りようがない存在だったのに、彼女は自分が殴り殺されるに違いない……と思いこんでしまった。
すると……、
彼女は……、
物質的にも殴られる存在に、
化学変化してしまったのであるッ!
「ずいやあああああああああああッ!」
覚醒剤で口から泡を吹いているヤクザでさえ、泣いて謝りそうな恐ろしい怒号を上げ、鉄玉郎の正拳突きが、幽霊の顔面にめりこんだッ!
ぐしゃッ!
スイカが割れるような音がして、彼女の前頭骨が砕けた。
ひどい眺めだった。
どれほどの、狂乱の一撃だったか……、深く顔にめりこみすぎて、鉄玉郎の拳がなかなか抜けなかったほどである。
泥沼に長靴がはまって、抜けなくなったことがあるだろうか。その柔泥の呪縛から逃れ、ようやく長靴が抜けた時のような音を立て、拳が顔から抜けた。
折れた前歯が、指の肉に突き刺さっていた。
小粋な指輪のようだった。
美しかった女の顔に、ロシアのツングースカのクレーターのような巨大な穴が開いていた。女が呼吸をするたびに、赤い牛バラ肉のようなものが、びらびらと揺れた。してみると、ここが鼻や口のあったあたりなのだ……。
女の身体は、肉のみならず心臓を始めとする臓器一般も復活させたらしい。穴の中に豆腐のようなものが見えた。
いぶかしげに鉄玉郎は見ていたが、それが脳みそとわかり、食欲をそそられた。
「痛いッ! 痛いッ!」
彼女は顔の割れ目から脳みそを巻き散らしながら、苦痛に床を転げ回った。
確かに、とても痛そうだった。
しかしながら、彼女は先ほどまでは、痛みすら感ずることのできない、生命のない存在だった。それが痛みを感じることが、できるようになったのだから、その神の采配を感謝すべきではないか。
しかし、とてもじゃないが、感謝してるようには見えなかった。
その光景は、まさに……地獄ッ!
閻魔大王だって、この現場を見たら、気持ち悪くなって、目を伏せるに違いない……。
ところが、床の上で顔を上げた彼女の目に飛びこんできたのは、鉄玉郎の勃起した性器だった。なぜか、鉄玉郎はチャックを開け、オチンチンを出していたのだッ!
こ……
この男……、
気持ち悪いッ!
彼女は不快さのあまり、ゲロを吐いた。
肉体的に人間化したばかりなので、出るのは胃液と血の入り混じった粘液だけだったが、それが、すでに鼻も口も一体化していた彼女の顔面クレーターから、マグマのように吹き出した。
ぐぼぐぼぐぼ。
と地獄の底の腐った沼のような音がした。
ゲロが、彼女の気管を塞いだ。息ができない。心臓など蘇らなければ、良かったのに、と彼女は思った。
残念ながら、彼女は鉄玉郎のように、皮膚呼吸やエラ呼吸では生きて行けないようだった。
彼女がこの世で最後に目にしたものは、自分の顔面に向かって飛んでくる鉄玉郎の精液だった。


あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事