【怪奇小説】空手対幽霊〜修羅場の忘年会〜

〜修羅場の忘年会〜
あれはバイト先の飲み会だった。去年の忘年会。堀江はレンタルDVDの店で働いていた。
デブというものは体臭が臭いし、そこに存在しているだけで不愉快になる。それは仕方がない。デブはデブだ。しかし、この職場の人々はやさしい心を持っていた。こんな体臭のきついデブでも、いれば多少の場のにぎやかしにはなるだろうと思って、飲み会に呼んであげたのだ。
なんという、愚かさであろうかッ!
バカめッ!
大バカめッ!
左翼的戦後民主主義教育の欠陥が、ここに如実に現れておるッ!
もちろん、彼らはあとで大いに後悔することになるのであるが……。
飲み会は、チェーン店の安居酒屋の個室で行われた。三千五百円飲み放題付き宴会コースである。制限時間は二時間。
で、宴会である。まあ、このデブが臭いのと、話すことがまったくつまらないのは、がまんするとしよう。仕事関係の飲み会ではありがちなことである。しかし、このデブの食い意地の汚さは、目を覆うものがあった。
飲み放題コースの時間が、残り僅かになった時、このクソ豚は両手で——昨年の年末には指は全部あった——テーブルの上に残っている食べものを、もったいないとばかりに、鷲掴みにしてむさぼり食いはじめたのであるッ!
「うめーッ! うめーッ!」
汚らしいッ! それが見ていた一同の共通した感想であった。汚いと言っても、それは二重顎から中華のエビチリソースの赤いケチャップを滴らせ、手づかみでむさぼり食ってる姿の醜さだけではない。
『この食いものはぜんぶ俺のものだッ!』
『誰にも俺の食いものは、ひとかけらでも渡してたまるかッ!』
という堀江の餓鬼のような浅ましい心が、周囲に不快感を与えていたのである。
店のバイト仲間たちはこの豚を、心の底から軽蔑した。軽蔑してから、誰一人として今まで一度も堀江に好感を感じたことがないことに、改めて気がついた。
『このデブと友だちじゃなくて良かった』
と彼らは心の中で胸をなでおろしていた。
「豚の角煮ッ! 季節の野菜炒めッ! 豚レバのカキ油炒めッ! 白身魚の四川風炒めッ! マーボーラーメンッ! うめーッ! うめーッ! ぶひいいいいいいッ! ぶひいいいいいいッ!」
別に豚の鳴きまねをしているのではなかったが、堀江はつい夢中になって唸ると、何重にも肉の襞が重なった首筋と顎と頬のせいで、豚のような音が出てしまうのである。いやむしろ、その心の真実の姿が音声になって現れるというべきか?
こんなに食いものが残っているのに、さっきから早く帰ろうと自分をせかす、こいつらの気持ちがわからない、と堀江は思った。
店の人が怒りだすまで、食べていればいいではないか。
まったく東京の人間は、人目ばかりを気にしてけつかる。
気取った格好付けどもめ。
俺は食うッ!
断じて食うぞッ!
もっと食うッ!
食えるだけ食うッ!
そこに食べものがあれば、これ以上食えませんという段階であろうとも、食ってやるッ!
なぜならば、そこに食べものがあるからだッ!
肉だッ!
俺が好きなものは肉だッ!
世界の肉は、ぜんぶ俺のものだッ!
食うぞッ、食うぞッ、食うぞッ、食うぞッ、食うぞッ!
まだまだ、食うぞッ!
ぶひいいッ!
ぶひいいいッ!
堀江は同僚の凍てつくような視線にまったく気がついていなかったが、気がついたとしても関係なかった。豚だから、無神経だったのである。
「こんな肉豚、誘わなければ良かったなッ」
冷ややかに彼らは言い捨てた。
ところで、彼らが堀江を置いて帰らなかった理由は他にもあった。バイトの女の一人が泥酔して、パンツ丸出しで転がっていたのだ。パンツが見えていたが、肛門の付近が茶色く変色していた。どう見ても下痢便がついている。エロというより不潔が先にたつ女。おかげで誰一人として、お持ち帰りしようという気にならなかった。
業を煮やした店員が来て、彼らと中華料理にまみれた豚人間とウンコ女は、追い出された。店員は、佐次清浩二という仙台から十五年前に上京してきたアーチスト志望の男であったが、養豚場のような個室のありさまを見て、つくづく、このバイト生活に嫌気が差し、夢を諦め田舎に帰り就職することを決意した。
ところで、女にも性欲が強い者は多い。プライドと一発やってしまった後の人間関係の煩わしさからやらないだけであって、酔っぱらってもうどうでも良いとなると、例え体重106キログラムの童貞デブでもかまわない、という気分になったりするのである。
パンツにウンコを少し漏らしてた女は、ちょうどそういう気持ちだった。
……というわけで、堀江はウンコ女をお持ち帰りするという、一生に一度しかない僥倖に恵まれたのである。堀江はその後の顛末を思い出し、後悔に顔をしかめ、精液臭い万年布団の上でチンチンを揉みながら、ゴロンと転がって唸った。
「ぶひいいいい」
これは苦しみの表現なのであるが、デブなので豚の鳴き声のようになってしまうのである。苦しくても悲しみが伝わってこない。それがデブの特徴だ。たとえ、内面に狡さや神経質な心を持っていても、外見の脂肪の塊がそれを覆い隠してしまう。かくして、デブは愉快でほがらかに見えてしまう。デブというものは、コミュニケーションの絶対的な断絶なのである。人類と一度も遭遇したことがない火星人や金星人が、地球にやって来たとしても、デブよりはずっと心を通じ合うことが簡単であろう。全デブはブラックホールに投げこみ、廃棄すべきである。
「ぶひいいいいい」
「ぶひいいいいい」
堀江は口が豚臭い。台所四畳半、寝室が六畳の家賃六万五千円の部屋は、たちまち養豚場のような臭いに包まれた。堀江が嘆き悲しむわけはこうだった……。


あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事

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