【怪奇小説】空手対幽霊〜この腐れ公安め〜

12月 23, 2023

〜この腐れ公安め〜
今日は鉄拳会館の練習の日である。鉄拳会館のような弱小の空手流派では、自前の道場を持つなんてことは、夢のまた夢だ。
鉄拳会館は武蔵野市北町にある、武蔵野市学習センターという施設の、第二集会室を借りて、練習を行っていた。料金は一時間四百円。たいへんに安い。安いが競争が激しく、一年も前から申しこんでおかなくてはならない。
申しこみが多い場合は抽選となる。抽選に漏れた場合は、善福寺公園などで練習を行った。いい晒しものである。また、真冬に吹きさらしの池の脇で練習をするなどは、狂気の沙汰である。
しかし、それでも、門下生たちが逃げなかったのは、明らかに頭はおかしいが、天才的な武道家である、鉄玉郎に惚れこんでいるからである。しかし、今まで辞めた門下生が、ほとんど全員不可解な事故死を遂げているという噂があり、そのために辞めたくとも辞められないという事情もあった。
普通の道場ならば、師範代が辞めた門下生を殺して回ってるなどと門下生が疑うということは、あり得ないだろう。また、そんな道場ならば、門下生がついてくるわけがない。経営が成り立たない。
しかし、この鉄玉郎道場に限っては例外だ。失礼ながら、いかにもやりそうな男なのである。師範代の人柄を知れば知るほど、必ずそういうことをしそうな人物だという確信を持つようになる。
まさに血に飢えた殺し屋ッ!
選挙権を持った狼ッ!
捕まってないだけのエド・ゲインッ!
しかし、面白いのが、それが鉄玉郎の武道家としての、マイナスの評価に繋がらないことだった。
むしろ、プラスッ!
この狂気あってこその鉄玉郎なのであるッ!
なぜならば、これこそが鉄玉郎の強さの源だったからだ。レベルの高い武道家になると、雌雄を決するのは紙一重の差である。そんな闘いになった時に、紙一重の紙を突き破るのが、鉄玉郎の常人には真似のできない強い殺意である。
なにしろ、明らかに気の触れた殺人鬼と同じような、精神構造の持ち主なのである。だから、弟子たちに『先生……』と崇められ尊敬されているような、まともな精神の人間が、かなうわけがない。
武道だ、心技体だ、などと、きれいごとは言っても、しょせん格闘技は殺しあいだ、ということだ。
技量が同じならば、より頭が狂ってる方が勝つに決まっているのであるッ!
ああ、なんという武道の非人間性であろうッ!
ゆえに、鉄玉郎は強かった。
圧倒的に強い。
どんな罪状であろうと、冤罪でもかまわないから、一刻も早く塀の向こう側に入れて、一生出てこられないようにしたほうが良いくらい、強かったッ!
鉄玉郎らが練習している時に、刑事を名乗る男がやってきた。
「鉄玉郎さん、警察が……」
如月が真っ青な顔をして、鉄玉郎に告げた。如月ほどのゲスな人間になると、警察に突っこまれるといくらでもボロが出るような後ろめたいことがあるのだろう。面白いくらい、挙動不審になっていた。
遅れてきたので、まだ私服の如月は、さかんにスラックスのポケットを気にして押さえていた。おそらく、大麻か覚せい剤、脱法ドラッグでも入ってるのではないか?
この人間のクズめッ!
鉄玉郎は心の底から、この髪の少し長いホストを軽蔑し、虫酸が走るような気持ちになった。しかし、問題はそれより警察だ。
腐れお巡りめッ!
犬のお巡りめッ!
犬めッ!
国家の犬めッ!
なにしに来やがったッ!
糞がッ!
アアン?
如月のあとから、どかどかと土足で踏みにじるように、図体のでかい背広の男が二人、入ってきた。
神聖な道場になにをするッ!
と鉄玉郎はいきり立ったが、普段はこの第二集会室はダンスや会合に使われている場所なので、じつは土足でもかまわないのである。
男の一人が警察手帳を見せた。
手帳は革製二つ折りで縦開き。上が顔写真や階級、名前を印刷したカードで、下には『警視庁』『POLICE』と記された記章がついていた。
名前は青田寧男、新宿警察署刑事課巡査部長。年齢は鉄玉郎よりひとまわり上の五十代前半くらいだろうか。もう一人の若い男は名乗らなかった。
青田は軽蔑したような顔で、狭い道場中を見回していた。ホストの如月、メガネでオタクっぽい田中という冴えない連中が、準備運動をしていた。
「なにかご用でしょうか、お巡りさん」
元々国家権力に対して異常な反感を持っている鉄玉郎は、つとめてにこやかに言った。
「『なにかご用でしょうか、お巡りさん』だってよッ! プッ!」
いきなり鼻の先でせせら笑う青田。しかも、初対面から馴れ馴れしいタメ口である。鉄玉郎は一言目からブチ切れそうになった。青田はそんな鉄玉郎の反応を見ながら楽しそうに続けた。
「俺の家が近くでな。この前を通るとたまに練習してる声が聞こえるだろう。一度、見学しようと思ってたんだ」
この腐れ公安めッ!
犬めッ!
犬畜生めッ!
スパイ野郎ッ!
良く言うわッ!
べらべらと嘘八百の御託を並べおってッ!
刑事二人で来て見学も糞もねえだろうがッ!
ボケカスがーッ!
お前らが、いつも俺を見張ったり盗聴しているのは、わかっとんじゃッ!
コラッ!
目的はなんだッ!
北朝鮮との関係か?
このタコ野郎ッ!
内心は怒髪天を突く勢いだったが、鉄玉郎は冷静になろうと努めた。ことさら、にっこりと微笑んだ。なまはげが笑っているようだった。
「さあて? あいにく、今は定員がいっぱいなんですよ。御覧のように門下生の数は少ないですが、少数精鋭主義でしてね。はっはっはっ。ああッ! 残念でしたねッ! さようならッ! お疲れさまですッ!」
「最近、二名も死んでんだから、空いてるはずだろ?」
ボソリと青田が言う。鉄玉郎がどんな表情で反応するのか、じっくり観察してやろうと思ってるようだった。
なにを言い出すんだッこの豚めッ!
そこが狙いかッ!
国家権力でぶくぶく太った腐れ豚めッ!
一瞬、本気で大声で怒鳴りつけそうになり、鉄玉郎は必死で自分を押さえた。警察相手にぶち切れて、楽しい思いをした記憶はない。
「よく知っていますね」
鉄玉郎は正常な人間のふりをして答えた。鉄玉郎だって三十分くらいなら、正常なふりをすることはできた。
体臭の臭いデブ、堀江が自室で心臓発作で死んだのが、数週間前。こんなデブは死んでもかまわないと以前から思っていたので、鉄玉郎はほんの僅かな同情も感じなかった。また、デブなので、いつポックリ逝ってもおかしくはない。
次は先週。新宿の靖国通りで、今度は結衣が長距離バスに轢かれて死んだ。こんな腐れマンコ女は、いつ死んでもかまわないと以前から思っていたので、これまた、鉄玉郎はほんの僅かな同情も感じなかった。
しかし、月謝が減るのは悲しかった。とても悲しい。月謝は大人が1ヶ月、九千円。だから、二人で一万八千円も収入が減ったのだッ!
ああッ!
なんという悲劇ッ!
鉄玉郎はそれを思うと、今にも涙が溢れそうになった……。
しかし、事件性はないはず。
鉄玉郎は今回は自分がなにも関与してないので、安心して大船に乗った気分でいた。
「先週死んだあんたのとこの門下生だが……歌舞伎町のイメクラ『聖女クラブ』で働いていた淫売で、源氏名が結衣か。本名、阪本祐子、二十七歳」
二十七歳だったのか……、と鉄玉郎は思った。結衣は道場では二十歳を名乗っていた。どうりで歳の割には、肌が弛んでいると思った。この腐れオマンコめ。
刑事は先を続けた。
「しかしなんで、男のチンポをしゃぶってる最中に、バスの前に滑りこんでミンチになりたいなんて思ったのかねえ? 内臓が全部飛び出してッ! ホンモン焼き屋の台所みたいな状態になっていたとかッ! ギャハハハハッ! 腹痛てぇッ!」
さも、自分が気のきいた超面白人間であるかのように、自分で言ったことに笑い転げる刑事の青田。それを見て鉄玉郎の顔色が変わった。
死人を冒涜するのは、まったくかまわなかった。そもそも、鉄玉郎自身も世間では稀に見るレベルの冷血漢である。
もし目の前に、全ホルモンをさらけ出して、血の滴るタルタルステーキのようになった結衣の屍体があったとして、まわりに人目がないならば、鉄玉郎なら、なんらためらうことなく死姦を始めるはずだ。
しかも、二ラウンドくらいは、確実にするであろうッ!
そんな危険な香りのする男だ。しかし、そんな鉄玉郎でも、この青田という刑事の人間性は、不愉快でたまらなかった。
刑事というものは、一般人が一生に一度見るかどうかというような、ひどい状態の変死体を日常的に見ざるを得ない商売である。
レイプされて胎児を引きずり出され、代わりに電話機を詰めこめられた妊婦の死体……。
真夏の料金滞納のマンションで見つかった、ウジのコンポストのようになっていた老人の腐乱死体……。
電車事故に巻きこまれて千のパーツに千切れ、まさに千の風になった幼稚園児……。
それらの衝撃から心を守るために、警察官、検死医、特殊清掃業者らは、わざと死体を冒涜するような冗談を言う。ジョークが精神の防御壁となるのだ。
しかし、この刑事の場合は違っていた。明らかに死人の尊厳を踏みにじることに、喜びを感じていた。
鉄玉郎も、まともではないのだが、こういうタイプの卑劣な人間は大嫌いであった。変態なりに一本の筋が通っている男なのであるッ!
刑事は鉄玉郎の目の奥を覗きこむようにしながら、不快な話を続けた。
「この淫売女は絶対シャブ中に違いないと睨んだんだが、残念ながら薬物反応は出なかった。自分で飛び出して轢かれるのを見た、という目撃者もいるので、平凡な自殺で片付くのかと思ったんだが、従業員の話を聞いたら空手をやっていると言う。風俗嬢と空手という組み合わせは珍しいな。そこで俺の天才的な刑事の勘がピンと来たのさ。なぜならば、空手だ、柔道だ、などと武道をやってるような人間は、反社会的な犯罪予備軍ばかりだからなッ! いつ切れて他人に暴力を振るってもおかしくないッ! 要注意人物ばかりだッ!」
なんだとッ!
鉄玉郎の視界が怒りで真っ赤に染まった。しかし、青田の発言は、全部、鉄玉郎には当てはまっているのだが……。
青田は話を続けた。
「……それで次は阪本祐子が通っていたという空手道場を調べることにした。まあ、調べてみたら『道場』などと名乗るのも、おこがましい空手愛好会レベルのものだったがな。フン。すると、先月も門下生が一人死んでいるのがわかった。すごい、偶然ですねえ」
男は嫌みを言う時は、いきなり敬語になるようだった。
「そして、俺は偶然というのは絶対に信じないことにしてるんだよッ!」
「堀江は病死じゃないですか」
鉄玉郎は冷静に反論してみた。
「それはまだ決まっていない。例えばものすごい肥満体の人間に『特訓』と称して、限界を越えた運動をさせると死ぬだろう? 心臓発作というのは、運動の真っ最中に起きるとは限らない。激しい運動をし終わった後に起こることもよくあるんだ」
「なにが言いたい……。俺が堀江を殺したとでもいうのか……」
押し殺したような声で鉄玉郎は言った。鉄玉郎は刑事が挑発して、余計なことを言わせようとしていることには気付いていたが、つい我慢し切れず怒鳴りつけてしまった。
「証拠でもあるのかーッ!」
「まさかッ! そんなことは一言も口にしていませんがね? 空手の先生様よッ!」
さも驚いたように白々しく青田が言う。
うまくいった、餌に食らいついてくれたぞ、と内心ほくそ笑んだ。
「しかしな、仮の話だが、もしこういう道場があったとしたら……? そこでは心臓発作で門下生が死ぬほどの猛烈なシゴキが行われている。その門下生は、左手の指がぜんぶチョン切れるほどのシゴキを受けていた。許せん話だよなッ! さらに翌月! 今度は別な門下生がバスの車輪の下に滑りこんで自殺した。おそらく、頭のおかしい師範代に『道場を辞めたらレイプした上で、生きたまま解体してから、ぶっ殺すッ!』などと脅されていたんじゃないかな?」
知性のかけらもないくせに、さも俺は賢い人間だとばかりに、当て擦りを言うしたり顔の刑事に、鉄玉郎は激怒してしまった。
「出て行けッ! ブタッ!」
鉄玉郎は刑事を突き飛ばそうとした。刑事はニヤリと笑った。
「おっと、指一本でも触ったら暴行で逮捕だぜ、えらそうな先生様よ」
それを聞いて、怒りに固まる鉄玉郎。
「オラッオラッ! 殴ってみろッ! 弱虫ッ! やれッ! 早くやれよッ! 口先だけかよッ! コラッ! 弱虫ッ! 負け犬ッ!」
近所中に響くような大声で怒鳴り、挑発する青田。この男は声がでかい。
歯茎を噛み締めてがまんをする鉄玉郎の口の端から、血の泡が吹き出てきた。
ただでさえ、リミッターのない鉄玉郎には、この我慢は拷問のようであろう。二人はしばらく睨み合った。緊張のピークが過ぎた。鉄玉郎は深く息を吐く。握っていたコブシの力を抜く。奥歯が痛くなった。
「まあ、今日は近所の道場の見学に来ただけだからな。これくらいにしたろ。また来るぞ」
刑事たちは勝ち誇ったように笑いながら、第二集会室の扉を開けて出て行った。
鉄玉郎は塩があったら撒いてやりたいと思った。神聖な道場が、ひどく汚いものに犯されたような気がした。
「俺もまともじゃないが、あれはその上を行く異常者だな」
手を出さないで良かった、と鉄玉郎は胸をなで下ろした。
しかし、と鉄玉郎はまた別なことを考える。もう一歩踏みこんできたならば、俺は確実にあの刑事を殺していた。
殺せるのはわかっていた。人を殺す時には、権力も法律も関係はない。その時、目の前にいる者を殺すだけだ。そこに存在するのは、殺す者と殺される者のみ。
これが武道というものだ。その瞬間は命を奪うか、奪われるか、というただそれだけが問題となる。まさに純粋な時間だ。
『殺人は美しい』とさえ鉄玉郎は思う。殺しは究極の美だ。愛と言っても過言ではない。
しかし、この美しい日本国では、その後にめんどくさいことがいろいろ持ち上がる。法治国家なので仕方がないのだが、俺が頼んで法治国家になってもらったわけではない。この一連の、めんどうなことを押し付けようと、法律という名の絞首刑のロープを持って迫ってくるのが警察だ。
「糞いまいましい国家のブタめッ!」
鉄玉郎は殺人鬼の目で、廊下を歩いて行く刑事の背中を見つめた。


あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事