【怪奇小説】空手対幽霊〜宇宙から来たエロ本〜

〜宇宙から来たエロ本〜
どんな鈍い人間にでも嫌なオーラを感じさせる場所というものがある。粉々になった女ミイラが眠る武蔵野市の外れにある廃屋。
ここが、それだった。
この土地の値段が高騰する時代にあっても、相変わらず再開発される様子はない。土地の権利が複雑で、誰も手が出せないとか、暴力団絡みのブラックな物件だとか、いろいろと耳にするが、実情はよくわからない。
むしろ、この地所の持つ不吉で陰鬱な雰囲気が、開発の妨げになっているのではないか。メンヘルの霊能者のようなことを言うのを許してもらえるならば、ここには悪い魔法がかけられていた。
広い敷地には、クヌギやコナラが無秩序に茂り、鬱蒼とした外来植物だらけの薮の中は、いつものように、じめじめと湿っていた。
暗い地面の表面には、無数の気持ち悪い細かい虫が這いまわり、腐って分解した、いろいろな汚いものをむさぼり食っていることだろう。
おそらく、地面の中を調べると不潔きわまりない伝染病の菌が、うじゃうじゃと見つかるに違いない。
破傷風菌、赤痢菌、サルモネラ菌、コロナウィルスなど……。
もちろん、まだ見つかっていない死体も。
鉄玉郎はその廃屋の門の前に立っていた。
前回、鍵がかかっていた門は、ホームレスが中に泊まろうとでもしたのだろうか、壊されて開いていた。
鉄玉郎は、再び何者かに見られているような気配を感じた。嫌な粘りつくような陰湿な視線。うなじの毛が、風呂上がりの陰毛のように逆立った。
鉄玉郎は夕暮れの迫ってきた通りを見回した。だが、通行人は誰もいなかった。
小首をかしげ、薄暗い敷地の中に入っていった。
中で小柄な人影にぶつかりそうになった。その人影は、細長い槍のようなものを持っていた。人を襲って食う原住民だろうか。不意打ちを食らった鉄玉郎は、とっさに身構えた。
「さては、貴様が敵かッ!」
これは試合ではないため、フルコンタクト空手では禁止されている顔面への突きを、鉄玉郎は相手を一撃で殺すために見舞おうとした。拳が相手の鼻先十センチまで接近した時に、それが小学生くらいの子供であることに気がついた。
老眼でよく見えなかったのである。
不運な子供は、夜道で宮崎勤にでも会ったような、おびえた顔になり逃げて行った。手に持っていた細長いものは、捕虫網だった。
「なんだ……。昆虫採集のガキか。虫を集めて佃煮にして、食うんだろうな。劣等的な人種の多い、多摩地区ではよくある風習と聞く。確かに蠅の子の佃煮は、極めてまずい。しかし、身体には良いから、もっと食うべきだ」
鉄玉郎は、ほっとした顔をする。
「危うく罪のない子供を殺してしまうところだった。しかし、ここなら叫び声を出させないように、一気に殺せば、誰にも、ばれないだろう。殺してみるのも、面白かったかもしれんな……。うーむ、ちょっと殺したくなってきたぞ。どこまで、逃げたかな?」
うれしそうな顔で、敷地の奥の暗がりを覗きこむ鉄玉郎。荒い鼻息に、長い鼻毛がふさふさと、高原で揺れるケシの花のように揺れた。美しかった。
ちょっとした林くらいの広さのある庭だったので、子供の姿は見えなかった。
鉄玉郎の半分ほど勃起していた陰茎は、柔らかくなった。
安全宣言である。
廃屋の厚く重い扉を開ける。前に来た時はこのドアのノブで、デブの片手の骨をすべて粉砕してやったものだ……。
あれは、楽しい思い出だった。デブのデブデブした肉の塊の中で、骨が粉々に砕けて行く快感。柔らかい中で、小さくて固い。
意味は良くわからないが、鉄玉郎はこの世にとって良いことをしているのだ、という気がしていた。
片手の指がなくなって、デブもさぞや楽しかったことだろう。
はっはっはっ。
鉄玉郎は、暗い廃屋の中で、狂人のように大声で笑った。鼻毛がまた揺れる。
デブは肉が過剰なのだから、少しくらい身体のパーツを失った方が良いのだ。そのデブも今や、骨壺の中だ。死んで火葬され、からからに乾いた骨片に変わり果ててしまった。
良い気味だ。鉄玉郎は、しみじみと人間の生命の諸行無常を噛み締めた。
『デブなのにずいぶん軽くなったものだな。これではダイエットのしすぎだ』
デブの葬式に行った時、焼き上がったお骨を見て、鉄玉郎はデブの両親にこう言ったものだ。面白い冗談にもかかわらず両親が少しも笑ってくれなかったので、鉄玉郎は不審に思った。
遺伝的に精神に異常のある家系なのではないか。
まあ、こういうデブのような意志薄弱者を産むような家系だから、欠陥があっても仕方があるまい……と鉄玉郎は、暖かい目でデブの両親を許してやることにした。ちなみにデブの両親は、二人とも、がりがりに痩せていた。
「楽しい回想に浸ってる時ではないッ!」
鉄玉郎は、気を引き締め、未知なる敵が潜んでいるであろう、朽ち果てた家の奥に進んで行った。
ぼろ布のような色の褪せたカーテン。布地が破れて錆びたスプリングが覗いている、かつては高価だったであろうソファ。
今ではもう見ることのない、ダイヤル式の黒電話が床に転がっていた。霊界からの電話が来るのだろう。
窓は板を打ちつけられて、閉ざされていた。その板の隙間から、夏の終わりの長い西日が差しこむ。内部はさらに、崩壊が進んでいるようだった。
俺の心も崩壊が進んでいるのだ、と鉄玉郎は唐突に思い、乾いた笑いを浮かべた。
この廃墟は俺だ。
なにしろ、相手は人間ではない。どんな事態が起きようとも対応できるように、鉄玉郎は拳を胸の前に構え、慎重に家の奥に進んだ。例の干涸びた女子大生のいた部屋に入る。
その時である。
ふと、鉄玉郎の視線の隅に、なにやら異形なものが映った……。
「ていやッ!」
瞬間的に跳び跳ね、絶叫する鉄玉郎。腕で顔をガードしながら、部屋の隅を見る。
以前にもあった朽ちたエロ本だったッ!
恐ろしい……。
鉄玉郎は、身の毛がよだつ思いがした。無性に今すぐ、誰でもいいから人を殺したくなった。自分が殺される前に相手を殺すのだ。
どんな廃墟、どんな河原にも、必ずあると言われるエロ本。
例え、繊維が分解し——偉大なるシロアリに幸いあれッ!——土塊に帰ろうとしているような状態でも、きゃつらエロ本はまったく、油断がならねえ。いつ、何時、どんな卑劣な手段を使って襲ってくるか、わかりはしないからだ……。
鉄玉郎は呼吸を止め、エロ本が襲ってくるのを待った。
やつは持久戦に持ちこむつもりらしかった。
『中出しおねだり妻全員集合』『食いこみパンティ調査隊』の文字が、かろうじて読めた。グラビアは星野麗子。
これはちょっとプレミアがつくかな、と鉄玉郎は思ったが、息が苦しくなってきた。目の前に黒い点が舞う。その黒い点が、太陽のように巨大化したあたりで——このまま、我慢し続ければ、長い鎌を持った死に神のシルエットに変わるに違いない——、これはただのエロ本である、と鉄玉郎はようやく認識し、深く酸素を吸った。
ただし、このエロ本が俺を窒息させて殺そうとしたのは、歴然とした事実である。
油断はならない。
いつ牙を剥いて襲ってくるか。
鉄玉郎は、ちょっと自分の片目をえぐり取り、後ろ向きに持って、前後が同時に見えるようにしながら、かつて、女ミイラが寄りかかっていた、壁の前に来た。断片でも落ちてるかと思ったが、たまった土ぼこりと、粉砕されたミイラの粉末が、ごちゃごちゃになって、よくわからない。
「それとも、粉々になったミイラの粉が、自らの意思で移動したか……」
などと鉄玉郎は、不吉なことをつぶやいてから、ふと、前に来た時はエロ本は部屋の外にあったことを思い出した。
「エロエロエロエロッ!」
気がつくのが一瞬遅かった。
エロ本は信じ難いことに蝙蝠のような叫び声を上げながら、ばたばたとページを羽ばたかせ、鉄玉郎に襲いかかってきた。
驚いた鉄玉郎は、目玉を離した、片方の視界がぐるんぐるんと360度回転を続け、船酔いをした。
空飛ぶエロ本が、その紙の端でぶらんぶらん揺れる片目を、切り裂こうとしたので、あわてて目玉を眼窩に仕舞った。これで安全である。
紙の端ほど、恐ろしいものはない……。誰でも、うっかり、スーッ!と紙の端で指を切られ、痛い思いをしたことがあるだろう。紙と言うやつは実に悪質でたちが悪い。
刃物のように最初から危険な外見のものは、まだ良いのだ。良心的と言えよう。問題なのは、紙のように一見弱々しいものだ。
きゃっらの、いかに卑怯でずる賢いことかッ!
ぼくたち、こんなに薄くてすぐに破れちゃいますよぅ……というような顔をして、地球人を油断させ、手をすぱっと切ってしまうのであるッ!
痛い、痛いッ!
この繊維質のカマイタチ軍団どもめッ!
老若男女、何億人の人間が、この凶悪な紙どもに手を切られてきたことか……。卑怯で薄汚いプレデターどもだ。鉄玉郎が戦ってるのも、そういう油断ならない一味の一員だった。無名時代の、かとうれいこを載せるとは、まったりさせて隙を作らせる作戦であったかッ!
宇宙人ながら、男の性衝動を知り尽くしておるッ!
エロ本はページを羽ばたかせながら、血を流した獲物を狙う人食い鮫のように、鉄玉郎のまわりを旋回していた。
「エロロロロロローッ!」
「こいつら、本屋にいるときは大人しいくせに、人間が一人きりになったとたん、襲いかかってきやがるッ!」
鉄玉郎は絶叫しながら、エロ本に立ち向かった。
しかしながら、空手というものは、人間に対して使うもので、本に向かって使っても、あまり効き目はない。暖簾に腕押しならぬ、古本に正拳の突きである。
骨をへし折ろうにも、きゃつらには骨がなかったッ!
それにしても、今回のエロ本が、廃墟に何十年も横たわっていて、紙の繊維が朽ちかけている個体で良かった。これが新刊であったら、今頃、鋭利な端で、脊髄ごと首を切断されていたことだろう。
「ちええええええすとおおおおおおおおおおッ!」
鉄玉郎は、上体を右に回しながら、襲いかかってきたエロ本を、両手で横に受け流した。右手でエロ本を上から叩き、落ちてきたところに左足を送り接近し、一気に右足の膝で、エロ本の背表紙を蹴り上げたッ!
セイヨウシミやシバンムシに食われて、脆くなっていたエロ本は、ばらばらになった。
鬼のような形相で、鼻水を垂らしていた鉄玉郎の頭の上に、隅田川の花火のように、エロ本が散って降ってきた。鼻水に、かとうれいこ(旧名、星野麗子)のおっぱいが、くっついた。
床に落ちたセンターカラーのグラビアページが、しばらくばたばたと、執念深く飛び立とうとしていたが、やがて命尽き動かなくなった。
これで良い。
これが本の本来の姿である。
鉄玉郎は、肩で息をして、鼻水を拭いた。廃屋の埃の中のダニにやられたようだ。鉄玉郎は呼吸器官が弱かった。


あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事


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