【怪奇小説】空手対幽霊〜魔性のラーメン屋〜

12月 23, 2023

〜魔性のラーメン屋〜
新宿区歌舞伎町二丁目。西武新宿駅を出て、東京都健康プラザ・ハイジアの前の歌舞伎町交番を左に曲がる。その通りをしばらく歩き、最初の角を右に曲がり少し行くと、不潔なラーメン屋『上海亭』がある。
我らが異常性格者、黒岩鉄玉郎は、ここで働いていた。雇われ店長である。
オーナーはいかつい老年の中国人、陳秀全。どう見ても中国人マフィアにしか見えないが、まったくの堅気である。
陳は本能的に鉄玉郎を信用できないらしく——正しい判断である——しょっちゅう店に来ては文句を言って帰る。とくに衛生面で。
『中国の厨房より汚いッ!』
と陳はよく鉄玉郎を罵った。そのたびに鉄玉郎は障害のある子供のように、にやにやと笑った。
『上海亭』は、カウンターだけの小さな店だった。味は東京ラーメンでもトンコツでもない、中華料理のラーメン。鉄玉郎が最初にラーメン作りを学んだ店のコックが、中国人だったのだ。
良い人だった。福健省の貧しい農家に育ち、蛇頭に借金をし苦労して日本に渡り、コックとして成功し、大金を持って中国に帰って行った。
……というのは表向きの話で、実はコックは自分の働いていた店の床下で、コンクリ詰めになって埋まっていた。コンクリの層が薄かったらしく、鉄玉郎が埋めてから数年たっても、コックを食べたウジが店に出て、闊歩していた。
おかげで評判が悪くなりその店は潰れてしまった。今度、人を床下に埋める時には、ケチらずコンクリートをたくさん使おう、と鉄玉郎は反省した。
鉄玉郎はそれから様々な店を転々とし、三十代半ばになってから、自分の店を開いた。
歌舞伎町に店を開いた理由はただひとつ。バカな酔っ払い客がやって来てもめ事を起こした時、思う存分正当防衛ということで、暴力を振るうことができるからだ。殺しても良い。クズが一人減るだけだ。
それにしても、暴力……ッ!
これほど鉄玉郎を奮い立たせるものは、他にはなかった。性行為より気持ち良い。自分より力の弱い者に暴力を振るい、大怪我を負わせる瞬間、鉄玉郎は自分が王様になったような気がした。
俺は敵兵、自国の農民、反逆者、貴族……誰彼かまわず目につく人間すべてを串刺しにした十五世紀ルーマニアのブラド三世であるッ!
東ヨーロッパ人をタルタル・ステーキにして、生で貪り食ったというモンゴルの狂える狼、チンギス・ハーンであるッ!
鉄玉郎は昔の乱暴狼藉を思い出し、深海魚のような笑顔で笑った。
このように確実に頭のおかしい男であるが、皮肉なことに作るラーメンの味は天下一品であった。
よだれをだらだら垂らし、一人では排便もできないレベルの知力なのに、市内の電話番号を始めから最後まで全部暗記できる人間がいるが、鉄玉郎もその仲間なのかも知れない。いずれにしても月の出てない夜道で、ばったり会うのだけは避けたい人物だ。
今日の『上海亭』には、二人の不幸な客が来ていた。通りすがりのバカな大学生たち。
運が悪いというのは、本人の魂が悪いのである。先祖の霊の敬いかたが足りないのである。
だから鉄玉郎の店に昼飯に入ってしまうなどという『飛行機に乗ったら落ちてしまった』レベルの確率的にめったにない大惨事に巻きこまれてしまうのだ。
そうまで進んで不幸体験をしてみたいのか。
愚か者めがッ!
「そら、豚ロースブロックそばッ!」
ガシャン!
鉄玉郎は怒り狂ったフウセンウナギのような顔で、痩せてる方の大学生を睨みつけながら、注文されたものを出した。
フウセンウナギに睨まれたように、大学生の顔から、みるみる血の気が失われた。どういう店に入ったか、ようやく理解したようだ。
続いて鉄玉郎は、唸り声をあげながら、隣に座ってる太ってる方の大学生に料理を出した。大学生はガチガチに緊張していた。
「ピーマン乾燥海老の冷麺……けっ」
ガシャン!
ペッ!
試しに、ちょっと客の顔につばをかけてみた。小太り大学生は、ビクッと震え、小便をちびりそうな顔になる。だが、なにも言わない。額から鉄玉郎のつばが、たらたらと滴っているというのに……。鉄玉郎の怒りが爆発した。
「なぜ、文句を言わない」
「えっ?」
鉄玉郎に話しかけられて、小太り大学生の短かめの五センチのペニスの先から30CCの尿が漏れた。
「顔につばをかけられたら、怒って当然じゃないかね。それを黙って耐えているとは、どういう魂胆だ。気に入らねえッ! 大いに気に入らねえなッ! 俺はなんだか、バカにされたような気分になってきましたよッ! アアンッ?」
完全に無理筋な屁理屈をこねて、客の大学生に絡む鉄玉郎。今日は機嫌が悪いようだ。
とんだ災難なのは大学生たちだ。
単に昼飯を食いに目についたラーメン屋に入っただけなのに……。
なんでこんな命の危険を感じるような、スリルとサスペンスを味あわないとならないのか……。
「あっ、つばがかかってましたか。気がつかなかったなあ」
無理して微笑むバカな大学生(小太りの方)。それから隣の痩せてる方の大学生を見る。
痩せてる方と目があった。涙ぐんでいた。自分も同じだった。
でも涙を流してしまったら、この狂人につけこむ隙を与えてしまう気がして、ぐっと堪えた。
すぐにでも金を払い、全力でこの店から逃げ出したいと思った。しかし、食べないで出たら、完全にこの店主を激怒させてしまうのではないかとも思う。そこで、無理にでも食うことにした。食欲はもちろんまったくない。しぶしぶ、冷たい麺をすする。
「うまい……」
こんな店なら地獄のようにまずいものが出てきても当然と思ったが、なぜかこのまともとは思えない人物の作る料理は極上だった。驚いて隣の痩せと、目をしばたたかせあった。
ものすごい勢いで『ピーマン乾燥海老の冷麺』をすする小太り。痩せの方は、口の中を大火傷しながら『豚ロースブロックそば』を食べていた。
片栗粉でとろみをつけているので、なかなか冷めない。しかし、口の中を火傷するのはわかっていても、あまりのうまさに、食べるスピードを遅くすることができなかった。
言わば麺に強制的に食わされているようなものである。
魔性のもの……。
魔性のラーメン屋……。
この店は、この世のものではないのかもしれない。
先ほどまでの恐怖を忘れ、夢中で食べている頭の悪そうな大学生を見て、鉄玉郎はますます不愉快な気分になった。
恨みもなにもないが、ほんとに殺そうか……。
鉄玉郎はちらりと通りを見た。ランチタイムの混雑の過ぎた新宿の昼下がり。通行人は少ない。店の中をじろじろ覗くような者はいない。
今なら、殺せるッ!
鉄玉郎は少し勃起した。
しかし……。
鉄玉郎は五分でこの二人を包丁で刺し殺し、死体を片付けることができるだろうか、と頭の中で素早くシミュレーションした。できるかも知れないが、なにか邪魔が入ると面倒なことになる。
止めることにした。
つくづく残念でならない。
黒岩鉄玉郎、四十四歳。年の功とで言うべきか。最近は無駄な殺生はしなくなった。
「俺も丸くなったものだな」
唐突に鉄玉郎は口に出してそう言い、麺の汁を飲み干していた頭の悪い大学生二匹を震え上がらせた。
若い頃なら、気軽にもっとサクっと人を殺したものだ。
年齢を重ねるごとに、確実にバレないですむようなシチュエーションの時以外は、手を出さないようになった。これが歳を取るということか……。
まあいい。殺人はもっとじっくりと楽しめる機会が来た時に、思う存分やろうじゃないか。
食べ終わった大学生二人は、レジで代金を支払った。
鉄玉郎はおびえた表情で金を払う二人を、イエス・キリストのような慈愛に溢れた目で見た。命を助けてあげたのだ。言わば、俺は命の恩人だ。良いことをしたので、気分がすがすがしい。
二人はなぜか、お釣りを断ろうとした。遠慮深い連中だ。そこまで『上海亭』の味を気に入ったのか。
鉄玉郎は無理矢理、二人に釣り銭を渡した。それからにっこり微笑んだ。
「命拾いしたな」
大学生二人はレジの前で、一気に大量に失禁した。それから早足で歌舞伎町の中を、尿を滴らせながら去って行った。途中、我慢しきれず道端でゲロを吐いた。
細切れになった『豚ロースブロックそば』『ピーマン乾燥海老の冷麺』が、コマ劇場の前で盛大にぶちまけられた。すぐに鳩が集まってきて、平和そうにゲロを片付けた。
鳩たちはそのゲロのうまさを堪能した。


あらすじ
空手家の黒岩鉄玉郎は弟子と肝試しに廃屋に入る。そこで見つけたのは、女のミイラ。それは異常な変質者にレイプ殺人されてしまった女子大生だった。ところが黒岩鉄玉郎は、女ミイラを空手で粉砕する。激怒した女ミイラの悪霊は、彼らを呪い殺していく。空手対幽霊という物理的に不可能な戦いが始まった!
登場人物
黒岩鉄玉郎 : 空手家
如月星夜 : ホスト
田中康司 : 糞オタク
堀江 : デブ
結衣 : 風俗嬢
女子大生 : 被害者
青田寧男 : 新宿署刑事